いつになったら死ねるのか、そんなことばかり夢見ているような気がする。生きたい自分と死にたい自分と両方がいてどちらかほんとかわからなくなる。まあ両方あるのが正しいんだろう。しかし死にたいという方が強くて、正しくて、まともで、生きることを考えるような自分は大嘘つきな偽善者の感じがしてくる。はやく死にたいなあと思う私が私にそう思わさせるのだろう。
私が生きることを考えたりするのなんてやっぱり似合わないんだろう。私にはむりなんじゃないかという気ばかりする。

木曜は学校を休んだ。前の夜からよくなかった。不安になると機能しなくなる自分。落ち着きがなくなって、ふとんにもぐる。足が、貧乏ゆすりみたいにぶるぶるする。呼吸が苦しくなるのは自然と規則正しい呼吸をしなくなっているからだ。誰も何も喋ってないのに私はうるさいうるさいうるさいと言う。頭がかゆいわけでもないのに頭をかきむしる。そうゆう落ち着きのないときの自分の仕草は変わらないんだなあ、体が覚えているんだなあ。色んなことがいやになった。いやになってそれをどうしようもなくて。そんないやになってる自分にいやになって。なにをどうすればいいのかわからなくなった。力のない自分。
夕方からでかけて、渋谷でフラッシュバックメモリーズ3Dを見た。渋谷は人が沢山歩いていて、車も沢山走っていて、自転車もいくつも走っていて、お店もたくさんあって、それを不思議そうに眺めながら歩く。外の景色と自分との速度が違ってくるのだ。どちらがゆっくりということでもなく、自分が街と一体化せず、離ればなれの別々の個体という感じで、私の目に映るまわりの世界を物珍しそうに見るのだ。違う国の違う人種の知らない言葉の世界みたいに。私だけなにともだれとも違うような何かからはぐれてしまった具合に。3とか4年前はずっとそんな状態だったから、そう見える自分のことは知っている。そんなふうになることがあるのは知っている。タワレコの看板を見てなにかを思い横断歩道をちゃんと私は渡れる。
上映後に松江哲明監督と山下敦弘監督のトークがあった。山下敦弘が同年代で唯一ライバル視してるのは松江監督とまえに何かでみたかも。デビュー年が一緒であり、撮るものがドキュメンタリーとドラマとで違いはあるものの作品を作り続けてきている仲として互いに影響があったりの親交は深いらしく、かなりざっくばらんにラフに話をしていた。松江監督はすごくにこにこしていてまるで無垢な子ども。山下監督もひげもじゃなのに背が小さいせいか妙なちぐはぐさを思う。しかし二人とも私より十くらいは年上で映画をいっぱい撮っていてなんだか有名な人であり、しかし二人ともわかりやすい既存のたち位置みたいなところにはいない人の感じはする。十くらいはなれている人たちというのは私にとっては遠からず近からずの感じがするし、ちょうどよい距離感で先を見せてくれてる感じがする。二人のやりとりは隠すものも繕うものもないみたいなそのままさ。山下敦弘は雑誌とかyoutubeとかで見るそのままだな!という感じだったなあ。夢売るふたりにちらと出ていたのともほぼ同じ。
フラッシュバックメモリーズは評判通りよかった。全編にわたって3Dでライブ映像でどくどくした。過去のライブ映像のなかには2004年の野音が入っていた。ろぼの野音だから、あ、これ私見に行ってると思うとなんだかぶるぶるくるものがあった。GOMAさんの過去のなかに私はいたんだ、しかしGOMAさんはこれら過去をすべては覚えていない。しかし私が覚えているように、他の多くの人たちもGOMAさんのライブを覚えているだろう。そうゆうことが今を生きるGOMAさんを思ってぶるぶるなるんだろう。

NHKのBSでやってたGOMAさんの番組、オーストラリアに行く番組をこないだ見て、不思議な感じを覚えた。事故にあって、脳に高次機能障害をおってしまうということ、それは過去の記憶が曖昧になり新たな記憶も定着せず忘れていってしまうということ。それは今の私にはあまりにふわふわしてしまう。映画で記憶をなくしてしまった人間を見たりしてそれはどんなことだろうと想像したことはある。しかしディジュリドゥという楽器をふくGOMAさんという人がそんなふうになるというのは、それでこの世界を生きていくというのはどうゆうことなんだろうという感じがして、どうしてそれで生きてゆけるのかという不思議を思わずにはいられなかったと思う。

けれど映画を見てそうゆうのは解消された感じがする。GOMAさんは苦しみ、そしてそれでも生きてゆこうと未来を信じて生きていく、自分の1、2ヶ月前のライブ映像を見てそのことを思い出せなくてもをありのままに受け入れ生きていこうとしているんだなあ。ただそのまんまのことだ。そうやって人は生きてゆけるんだなあ。私の頭はかちんこちんなので、私からするとまるでそれはタコのように柔軟でやわらかだなあ。

そんなこんなで金曜も休む。録画しといた日本映画を三本見た。ひたすらぽりぽり何かを食べていた。おちつかなさを思う。