三月の最後の月曜日に学校の修了式があり、火曜から働き始めた。とはいえ三ヶ月は研修期間。とはいえ入社。でもなんだろうな、今までバイトを色々やってきたことや訓練校に通ったことや間をあけることなく地続きで始まったせいか、会社の雰囲気が堅苦しくないせいか、私も年をとったせいなのかそれらの単一か複合なのかはわからないけどだいぶマシにやっていけてる気がする。その比べるところはバイトでさえおどおどびくびく怖がって自分に何かができるなんて思えないでいたころなんだけれど。それを考えたらよくここまでこれたなあというか、うーん、我ながらしぶといな、というところか。

もちろん緊張はありありと現れる。初日は五時に目が覚めるし(近年この傾向がある)二日目からはずっと毎朝おなかがゆるくて朝はきもちわるい。緊張による胃腸の弱さが露呈しまくり。いつになれば平気になるんだろかという不安が更にうずまくという。しかしこれは今週のなかばくらいから気づけば治まりはじめた。夜も朝もいまいちごはんを食べる気になれずこんなんじゃ体力もつかないしだめじゃないかー、この先どうすんだーと思っていたのに現場行ったりでぐったり疲れつつも慣れてきたせいかふつうに食べられるようになってきた。これにはほっとする。ひとまず新しい環境にはなれてきたというところかな。

今は18~19時くらいであがらせてもらっているけど先輩たちはかなり大変そうだから私もこの先はなかなかどうなることやらな面はある。それでもなんとかやっていけそうだなとかやっていきたいなとか、できるようになりたいなということに後押しされているのはすごくでかいんじゃなかろうか。
それに自分のふるまいというか動き方というか、そうゆうこともわりと自然に立ち回れるようになっている気がするから、そうゆう点ではなにより自分がそれで楽にいれるのかもしれない。変な無理をしないですむようになっているし、そうゆう風に受け入れてくれる環境であることがありがたい。
求人は色々沢山見て、悩み、しかし一番よさげだなと思った会社を受けて、それで入れたのはついていたと思うし、妥協しないで探し続けてよかったなあとも思う。まあ、ほんとうにほんとうにかなり忙しそうで大変そうだからそんなこと言ってられるのは今のうちかもとも思うけど。まだまだ働くということをわかってはいない気がするし色んな事に対する不安もありまくるけれど、今までむりやりにでも生きてきたこと、生きることを続けてきたことの全部が通じて今にここに私はきた、これたんだなあということをのわぁ~っとした霧の粒を顔面に感じているようなところ。
今までずーっと、うまくできないちゃんとできないと、地面にはりついたみたいな動けないでいたところを私はようやくじりじりと動かせるようになったのかもなという感じ。それはやはり突然ではなく、すごく時間はかかった気がするけれど、こんなに時間をかけて遠回りでもしまくらないと私にはわからなかったしできなかったんだろう。そのぶん親には沢山迷惑をかけているわけだし、未熟人間であることには変わりないけれど、それを許し受け入れて私を生かしてくれ、帰る家、眠ることのできる家を与えてくれていた家族というものはなんてでっかいものなんだろうと思う。たいして仲の良い家族なわけでもなく、むしろ悪いくらいだが、それでも私が生きることのできる、呼吸をすることのできるこの家という存在をこの一年くらいはより強く意識した。これからは、私もちゃんと、この家を骨組みから支えられる人間になれるだろうか。今までずっと、守られてきたんだろう私は。
仕事のことを考えるとそのうち一人暮らししたいなという気持ちもあれば、しかし家を出るなんてのは気がひけるみたいなとこもある。まあそれはまたそのとき考えよう。

こないだの日曜日は学校でうしろの席だったでかいお兄さんとベーコン展を見に行き、神保町をさらっと案内してもらい、お喋りをしてなんだかすこしはすっきりした。この人はわりと馬があう的な感じの人で話していてらくだ。話が通じる、伝わってる感をえられる人ということ。まあだから学校のときから仲良くできたんだけれど。前後の席でうお座という奇跡感。やはり、うお座の人ってすごい近い、わかる、おなじだなみたいなにおいを感じる箇所がわかりやすくはっきりとあるんだよなあ。よくもわるくも。職場の先輩、私を採用に決めてくれた先輩がかに座で、あーだからなんとなく話が通じやすいのかなとも思っちゃったわけで、やはり星座はおもしろい…。まあでもかに座って実はいまいちよくわかんないんだよなあ。これといった一貫性を見いだしたことがない。


いつだったかに、坂口恭平が音楽を聴いて泣いたときのことを忘れるなみたいなことをツイートしてて、それががつんときた。まだ学校通ってるときの帰り道で疲れててもうろうとしていた頭になんだかきた。私はそんなのは過去で、過去の青々しいことで、誰にも伝えようのない私一人で抱きしめているどうしようもない、なんの意味もなさないような葬るか埋めるかブラックホールに投げ入れるかでもしなきょいけないようなものの気がするのにその頃のことが忘れられなくて、むしろ、なんでそんなふうに音楽を必死に聴きそれに泣くことができたんだろう、なんで泣くほどに自分を音楽にすり寄せられたんだろうということが気になっていた。でもそれはあまりに恥ずかしいことのようにも思っていた。
だから、坂口恭平が忘れるなと言ったとき、びっくりした。そうか、忘れてはいけないんだ、それを忘れてはだめなんだ、それを覚えてなきゃいけないんだなと思った。二度とそんなふうに、昔みたいに布団に入って電気を消した中で聴く音楽にこころから泣くことはできないかもしれない。それでも、それがあったことを忘れてはいけない。覚えていろ、忘れるな、それを失ってはいけないんだ。
だから最近はそのことを思っている。そのときのこころのことを。
私はなんだかずっと、昔のことを思い出したり考えたりするのはあまりよくないことのような後ろめたい気がしていた。10代のころのことがあまりに大きすぎて、ずっとそこから離れられないようなこわさみたいなものもあった。でも、時がたてばあたりまえみたいにして昔は更に昔になって遠くなってそれよりも今や未来を考えてしまう。過去とは違う自分になっていってしまう。同じではなくなっている。それなのに過去は強くて、すごくはっきりした景色なんだ。だからどうしようもなく薄れてはいきやしない。離れていくようでまたずっとそばにいる。すぐそばに、触れられるようなんだ。でもなぜだか、過去に強くひっぱられてはいけないような気のする自分もいる。それはきっと今を未来を考えなくちゃと思っているからだ。だから、過去になんてと思う。
でもそうか、やっぱり過去はあっていいんだ。それはなくちゃだめなんだ。わかんないけど、やっぱ10代はだいたいみんなにとって手放せないものがあるんだろう。こないだ五十嵐さんbotの色々聴いてみるんだけど10~20代前半のいわゆる思春期に聴いていたものに安心感を覚えてしまうっていうインタビュー発言を見て、なんか、私すごい安心しちゃったんだよな。ああ私もそうだよ、そこからは永遠に離れられないなもうって思ってたから。だから、過去のことをむりやり封じ込める必要はないんだろう。