液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

なんか、なかなか毎日書こうとする意識を持続していることも実はままならないことに我ながら驚く。毎日、つづける、ということはなんであれ大きく意味や力をもってくるものだと思うけど、それだけにそこには意志や確信や見ようとするものがないとできないんだろうと思う。ただやってみようではなかなか。そんなわけで何かを毎日や何年と続けている人は尊敬に値するなあと思う。

先週はまたいろいろとあった気がする。相変わらず上司に疲れた。再度いや気がさした。もう何度目かもわからないけれど。まあよく耐えてると、いやになったらすぐやあよの私が、よくたえられるようになったもんだと思うけど、でも、じゃあ、いつまでどこまで耐えればいいんだろうと思う。ずっと耐え続けなきゃならないだけだと思う。
今まで何度も侮辱されるようなことはあった。仕事のやり方がおかしいと思うことは日常茶飯事で、言動は矛盾ばかりで自分が楽することやかっこよくみせることにばかり注意を払っている。すべて自分の思い通りにならないと気に入らず、そこに違う意見をいうものならばふてくされ、筋の通っていない文句を言う。だから当然社内の風通しは最悪で、意見らしいものが上がるはずはない。意見をいったところで通るはずはなくめんどうなことになるだけ、従順であればいいとそれで納まっている。強要や強制。そうゆう言葉遣いが私は大嫌いだ。自分が正しいと考えているのか人の意見を聞く気はなく、受け入れることもない。しかし責任は逃れようとする。しかし成果だけ自分のものにする。
私はどのように生きたいんだろう、と思う。仕事をする、働くことは生きることのほとんどを占めてくる。人によってその分量などは違うにせよ。私はどんなふうに生きれるだろうかと考える。ほんとうは、ほんとうは?、こころの中にはこんな上司のしたでこんな会社で働きたくないという気持ちはある。こんな上司に気を使ってつかってつかって自分をすり削って傷つけられて涙が流れたりするのはまともじゃない気がする。それはなにか違う気がする。
仕事自体はたのしくやれるんだけどな。特に現場行くと学べるものも多いし他の職人さんたちと一緒に仕事できるのもたのしい。一年経ってなれてきてもらえてるのもわかる。そうゆうところでのやりがいもある。社内にいると息が詰まる。


日曜は写美の図書室へ行って古屋誠一の昔のメモワールシリーズの写真集をみてきた。それについてはまたつぎにする。