液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

会社をやめた。ほっとしたきもち。アイロンをかけながら、白いシャツに陽がさしているそれを見たら、ああ、という安堵感が生まれでた。忙しい仕事だった。土日を続けて休めることなんてこの一年で何回あっただろうか。まあときどきはある。けれどどちらか、どちらも出るのが当たり前に思われてしまって、ない方が不安に思えたりもした。3週間出っぱなしでもやりこえられた。毎日睡眠時間が3〜4時間でもどうにかなった。朝6時に終わることもあれば、朝6時からはじまることもあった。それでも続けられ、やることができた。仕事自体はすることができた。そこで感じられるものは他にないものだった。もっとやってみたかった気持ちは大いにある。もっと、もっとという気持ちは一年を過ぎて欲のようなものとして自分でも感じはじめたものだった。けれど、同時に環境における限界というか、縛り、抑制、抑圧のようなものも意識せざるをえなくなってきているのも確かで、それは私の欲とどんどん比例して高まっていったのだろう。
そこには、どうしようもないものを感じてしまう。誰が、私がそこでとどまれただろうか。私がそう思う限り、それは誰にもどうしようもなく、この結果は避けられないものだったとなっとくする。それは私の選択。わたし、わたしのもの。
辞められてよかった。本当によかった。うれしいと思う。だから次をもっとがんばろうと思う。実現していきたいと思う姿形を見失なわず、それのための努力をエネルギーを気持ちを惜しまずに使っていきたい。うしゃー。
とりあえず年内はほどほどのアルバイトを探してなるべく貯金を減らさずに食いつないでいきたいところ。


そして今日は10年ぶりに見るシロップのライブ。うそみたいだ。真面目に考えてみると信じられない。チケットはオークションで買った。迷ったけれど、今、今見ることが必要で大切だと思った。そのためのお金がわたしにはあった。それはこんな年月を経たからこそ成りたつものだと、思う。17歳の私ではできなかったんじゃないかなあ。もう最近はずうっとシロップのことを考えていて今日はどうなってしまうか、頭に何がめぐるのか、あわわわわわわ。
五十嵐さんは歌うことでしか生きていけないだろうと思っていたし、シロップでなきゃやれないんだろうと思っていた。だから解散して、五十嵐さんの歌はもう聞けないんだと思った。そう思ったら泣けた。だから、また、シロップが見れるなんて本当に夢のようだ。いまを、このときを、同じいまを生きているんだというリアルを、感じることができる喜び。おおよそ全てを教えてくれた。