液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

父と母と、北海道旅行へ行ってきた。シロップの国際フォーラム見た翌日から。だもんでなのかどうなのか、もはや遠い記憶のようにさえ感じてしまうけれど、ついこないだ、見たんだなあ、シロップを。9月22日Syrup16g東京国際フォーラムについて。

記録をたどるとほぼ11年ぶりだということがわかったのと、自分でも完全に忘れていたけどシロップのライブに行かなくなったのは、完全に気持ちがはなれていったからだということが日記に書いてあった。そうだそうだ、私の好きだった五十嵐さんのギターがもう出番なくなってしまって(moonという)、リリースを連発していた2003年のこと、自分のなかで求めるところとのズレが許せなかったり、同時にシロップ以外の音楽に大きくひっぱられていっていたころ。自分でもなんで見に行かなくなったんだか謎にさえ思っていたけど、いやいやちゃんと思っていたのだった。そんなふうに、そんなことを忘れてしまうんだな。かなしくさえもないけど、現実は冷ややかなもんなんだなあ。

そわそわして昼間から落ち着かず開場すこしまえに有楽町に着いてしまった。フォーラムは仕事でよくいった場所のひとつ。搬入場所もよく知っている。そんなとこでシロップはやる。大きくなったというか、そんだけたくさんの人に求められているんだなあということを感じる。

私がシロップのライブにはじめて行った時から最後に見たときまで、それはちょうどシロップの人気がうなぎ上りになっていった時期だった。一年のなかでワンマンの場所がQue、クアトロ、リキッドルームとどんどん大きくなっていった。それくらいシロップはその時に直接的に求められたんだということは単純にすごいと思う。そのあとの野音nhkホールも武道館も私は知らない。けれど、そんくらいシロップの音楽が人をひきつけてしまうのは至極真っ当なことだろうと思っていた。なにより、自分がその一人なのだから、みんな、そうでしょう、と。

場内では、私より若いんだろうという人たちをよく見た。なんせ昔は自分が若かったのだからそうゆう風に考えることがなかったんだろう。ついそんなことに意識が向く。私もむかし、そんなだったのだろうかと自分の昔を、10年以上前のことを思う。そう思うと、まさかこの年になってまたシロップのライブが見れるなんてな!と思った。まさかまさかのまさかな出来事だ!そんなことありえるんだ!もう見れないんだ聴けないんだと思っていた。そんな喪失しか抱けないんだと。

3人がステージに出て来た時には信じられないという気持ちと、懐かしくてたまらない気持ちとで、忘れられないような感情の高まりだった。表情なんて見えないし、姿形をはっきり覚えていると言えるわけでもないのに、それは懐かしく懐かしい匂いのようでさえあった。それは若かりし頃の自分の青い匂いなのかもしれない。

五十嵐さんのギターは断然うまくなっていた。五十嵐さんといえばライブでギターミスが多い、いい曲いっぱい作るくせにそれがまた腹だたしいみたいなことだったのに、めっちゃきれいにひけてるじゃん!というのが素直な感想。いきいきとした音がホールという特性をもった場内に大きく響き渡っていることはなんだかすばらしかった。かっこよかった。

アルバムHurtからの曲に、昔の曲がどんどんはさまれてくる。君待ちは、ああやっぱりそのギターじゃないよじゃないよ違うんだよという個人的嗜好は大いにあるんだけれど、当時も今もすごくすきな「真理なんてデタラメ 勇気なんてださないでくれ」という歌詞を聴けただけで嬉しく思う。その歌詞を歌ってくれるということに満たされてしまう。ああ私そんなふうに聴けるようになったんだなあと思う。

君待ちにつづく生活も、なんて心地よいんだろうと思う。私はHurtも十二分に大好きで、シロップのアルバムはまあいつだって楽曲は平均的によくできていると思っているわけだけど、Hurtはやはり今つくられたものというリアルさが私には痛いほどうれしいというか喜び。それをライブで聴けるというのはぞくぞくする喜びだった。同時に、昔の曲が懐かしいというより新鮮で、けれどどれも口で歌えてしまう事実にわれながらびっくりした。どれもよく知っていて、知っていて、全部私には染みついていた。音を覚えているその感覚が、今まで眠っていたものがまさにむくっとパチっと眼を覚ましたかのように。そのことが、ああ私なんどもこれ体験してたっけなあという事実を記録を頼らずして知らしめられた。こんなに覚えているものなんだとただ驚く。

MCで喋る五十嵐さんの声はとてもきれいで、あれこんなにきれいな声だったっけ?!というのと、やはり、そうだこんな声だったというのとが同時発生する。ホールの特性でそう聞こえただけなのかもしれない。川の水の流れるような透きとおった感じは歌っている時とはまた違っていて、ありがとうございますというその声はほんとうの意思が通っているように聞こえた。その強さがまた美しいしなやかさのようだった。五十嵐さんの声はこんなにきれいなものだったんだとはじめてしったような気がした。

いくらでも聞いていたかった。もっともっと聞いていたかった。これでツアー3本しかやらないなんてもったいなさすぎる。もっともっともっと見たい。またこんな風に思う日がくるなんてほんとびっくりする。10年以上も聴き続ける音楽があることにさえびっくりする。昔は10年なんて遠い未来のことで想像さえしなかった。けれどその数字には実際あまり意味を感じない。そんなところをぶっとんで好きだという気持ちはつづいてる。なににも敵わない、何よりも信じ信頼してしまう音楽。逆にその歳月はなにを表すというのか?そこにはそれはそれでふくまれるものがあまりに沢山ある。そこに同時にシロップはもちろんふくまれている。そのことが現れか。

好きなものというのはやはり宗教みたいなもんだと思う。信じ、信用してしまうもの、頼ってしまうもの。そこに安らぎを感じ、満足を覚え、更にもっと見たい聞きたい読みたい感じたいと没頭してしまうなら、そうゆうのが宗教なんじゃないかと思う私にはまあ宗教みたいなもんなんじゃないかと思う。それくらい宗教は特異なものでもなく誰にもあるものとして。

15のときに聞いた、シロップ聞いて感じるこれはなんなんだろうというところから私は沢山のものごとを教わり学んできたと思う。でっかすぎる教科書だ。思春期に出会っているのがまずいけないんだろうけど、なによりも大好きでしょう。それはきっと変わりようがない。

終わって、こんなにすがすがしく嬉しい気持ちになれたシロップのライブなんて今までにあったかなと思った。今日は特別かもしれない。今日のライブで見れた感じたもの、ことを私は覚え続けているかもしれない。けれど、またこれから続いていくシロップがいること、そのことをも私はもっともっと見て聞いて共有していきたいと思う。