変わらないと思えば思うほど、昔と同じと感じれば感じるほど、埋められない空間性を感じてしまう。それはもううめられるものではないのではないだろうか。それはもう永遠に失われていて、何か誰か何処かでうめられるものではなく、永遠にそれは失われたというか失われている空間として、他者との間にあり続けてしまうんだろう。それを埋めようとするには時間が必要で、時間があり、言語も必要で、伝える力と聴く力と受け止め理解する力とかそうゆうんが必要で、でももう誰もそんなものもちえないんじゃないかなって思う。もうそうゆう時間もまた失われてしまう。だってもうみんな学生じゃないんだもの。みんな毎日があって明日があって昨日があって一年前があってその前がある。共有したそのもっと前の過去は変わらずあり続けるだろう。それを共有できるだろう。それを共有することできることは変わらない、けれどそこに変わらなさを感じると同時に生じるぽっかりあく穴ははたしてなんだろう。それを感じたその刹那、すとんと落ちてしまう穴がある。どんなパテをうめてもうめてもうまらないもの。理解や想像をしようとしてもそれはすべて作り物になってしまうようで、手ごたえは得られないだろう。結局、共有したものでしか繋がりあえない。それは純粋な事実だろう。それを知ってるからそこにすがろうとするのか。それをてごたえの手がかりに。でも、そうすると余計にするするこぼれ落ちていくものも、見えないまま通り抜けていくものも多いような気がして、そうしたら結局もう私たちは近くにいないんだ、べつべつの人間なんだということが強調されてしまうようで、そしてその距離感に対してそれをどう埋めればいいのか考える余裕も当たり前みたいになく、それは永遠にうめられないものと化していくよう。だからなんだとなんの結論も出ない話。

いやなんかあったんだけどなあ、書いていたらわからなくなったー。だめだ、ばかだ。なんていうか、そんあんを、この先一生感じて生きていかなきゃいけんのかと思ったら重いし痛いしやるせないし切ないし吐く息が重い、脳みそが黒ずむ、ようなそんな気がしてなにかんに純化されたい気持ちになる。自分へかえりたくなる。時分だけを守ってくれる場所へかえりたくなる。そうゆう安心を安堵をほっしたくなる。その心地はなんだか幼稚でいやなんだけどなあ、そこしかかえる場所がない。一人で音楽を聴くに帰っていく。

変わったとか変わってしまったとかそうゆうことじゃない。変わらないでもない。そんなはじりやおわりのことじゃなくて、その間のことが私は痛々しくて苦しいんだ。自分を汚らわしくかんじる。そのきたないみにくいようなぞくぞくした感じが、反吐のような感覚。