液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

年をとって考えることなど。

昔から使っているヤフーメールの整理などしてみたら、ぜんぜん覚えていない人とのメールのやりとりがあったり、携帯でもメールできてたはずの人たちともPCメールでやりとりしていたりして、昔と今の違いをうわーと感じ、そうだったなあと思うとただ口をあけてるだけの受け取り口にしか思っていないヤフーメールにもいとおしくなる。今はPCメールするのは仕事でという感覚だから。
15のころにネット上で日記を書くことをはじめて、文章というか言葉にしてみるということが習慣になって、気づくとそれは自分に必要不可欠なものになって、なんかあったら言葉にするんだということはずっと自分のなかで自分に求め課すものになった。
これはなんだろなと考えめぐらせたとき、言葉に探し言葉に行きつくことは泳げる気持ちよさのようなもの。

日記をなんとか続けていることは生まれて生きていることの次に続けられていることだなあと思っている。
昔は毎日こまかに書かないと気がすまなかったのに、今はそうじゃなくなった自分にさみしい。
日記を書きつづるのはものごとを忘れていくからという恐怖があったはずなのに、今は忘れることもまあいっかと思えてしまう。
なんもできずに生まれて15年生きたところからはじめたことがもう、時間というかぞえる数字で言えば同じ時間、けれど違う時間を今、ふくみ進んでいるのだと思うといまいち時空がねじれこんでくるようなぐねっとした心地におそわれる。
10代の頃は5年後も10年後もなくその時しかないようなありさまだったせいか、自分が年をとっていくという事実がうわほんとに火星人がいた!みたいな常なる驚きのような気持ちがあるんだなあ。
あまり理解はできないけれど事実なんだなあとは思う29歳になりまして。

今日はキセルワンマン。今は兄の曲の方がすきだなあ。そんなふうなそんなこんな。12年とか、おどろくことのような、かないことのような、いやもう13年になるのか。なんだかんだで生きてきた自分を実感させてくれるのは音楽。なんだなあ。