液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

昨日はキセルの「明るい幻」レコ発ツアー最終日@赤坂ブリッツを見に行った。ブリッツなんて15のころに行ったのが最後かどうか、そのあとも行ってるのかどうか。どちらにせよ新しくなったブリッツははじめて。昔は階段あがったうえみたいなとこにあったような気がして、フラットに建っているのがふしぎに見えた。けれど中は昔そのまんまのような気もしたりして、もうそれは完全に気がするとしかいえないほどの感覚だけど、昔よりキャパ減ったぶんでか、ほどよい広さでどこからでもよく見えそうな、好印象をもつハコだった。

さてキセル。去年のライブとアルバムとがよかったから期待はけっこうあった。アルバムを聴きこんでいくなかで色々なことを思った。私が最後に聴いてるアルバムが窓に地球だからたぶんそこに10年くらい時間の開きがあると思うんだけど、そのころと比べるとキセルの曲はけっこう変わったように見えた。兄と弟がつくるそれぞれの曲や、兄が書く歌詞において。いや兄がかく曲はかわったってわけじゃないかもしれないけど詞は兄だけがかいてるからそこは兄だけセットになっちゃうのか。
またそれは私の好みが変わったってことなのかもしれないとも思う。単純にいくと昔は弟のつくる立体とびだし絵本みたいな曲が特に好きだった。兄がつくった曲たちのなかにぽんと出てくる弟の曲の感じがすごく面白かった。でも今作でいえば兄色の強さをすごく感じるし、そのなかで兄がつくる曲は昔にはなかった詞の、言葉のよみかたからの広がりをとても興味深く感じる私がいる。
弟の曲は今作で2曲あり、特に絵の中でという曲はいかにも弟らしいと思った。弟のすごくおもしろいなって昔から思ってたとこがある種そのまんま残っていて、それでいてもう一曲の花に変わるにも感じる大人っぽくなった感を思ったりして。弟の曲のなにがすきだったって、子供のときに見ていた情景や音や不安定感みたいな混沌としたまわり、というようなものがあったんだけど、そうゆうところは薄れたと思うし、それはなんか純粋に階段を一歩か二歩か、あがった感じがする。弟は昔よりライブでもよく喋るようになった気がするし、そこらへんぜんたいあわせて弟はおとなみたいなものに少し変わったというか以前よりりりしき姿になった感じがする。それでも弟のつくる世界は色が混ざりあう、あふれとり囲んでくるものがあって、すごいうれしい気持ちになるところがある。それはやっぱりこどものころの一人遊びをしている時の自分だけの世界にひたっている幸福感みたいなもの。
兄のかく歌詞は昔に比べるとより遠く、広い世界を見て、手を広げてそこに接触しているように感じられた。昔の方はもっと身近な範囲のことをうたっていた感覚がある。だからそこらへんは新鮮だったし、兄がインタビューで歌詞がなかなかかけなくてたいへんだったというようなことを言っていたのも気になったし、わりと歌詞カードをよくひろげてどんなものを兄は見ているんだろうなということを考えた。ふだん歌詞は音のよさなどで聴いてることが多くて歌詞カードあまりひろげない私がだから、たいして理解とかはないんだけれど。今年に入ってからはかなり意識的に聴いていた。
でもそうゆうことをやっていると兄の見ようとしている景色がすこしずつ手ごたえをもちだしてきて、キセルがうたう言葉の音の心地よさみたいなものにそれはそれで行きついた。で、それらはライブで非常に際だってより輝いて見せてきてくれた。それがもうすっごくよかったな。

ライブは君をみたからはじまって夏の子供につづく。バンドサウンドとして、すごくしっかり組みあっている音だなあって思う。組み合いながら、より自由になれる空間を広げていく感じ。闇の中に白い光の世界がくるくる広がっていくような。気づくともう上空の景色が見えているような。ステージ照明がすごじゅよかったな。なんかちょっと最近のろぼにも似ている感じがある、電球をぶら下げてるとかたたせてるとか。そしてステージバックには星空みたいなこまかな照明がついていて、でもなんかそうゆうのも全部しょってたつバンドとしてのキセルのふたりがとてもかっこよく、男前でもあった。すごいね、おっきくなったなあって、感じちゃうんだよなあ。
たぶんそれはモーサムとかシロップとかには見ないなにかの気がする。キセルは人間としての素朴さがあるからそのへんががつーんとした音楽やってる人たちとは違うし、まあそれは昔よく近くで見る気があったとか、でも要はそうゆう形で音楽やライブをやってきたキセルだからこその身近な人間味があって、そこにおいて例えば駅ですぐ隣にたっていてもおかしくないようなそんな存在感。そんなキセルだけれど、キセルの音楽はずいぶん力強くなったと思うしふたりの間にはよりその一瞬にしかなく、その一瞬にこもる音がもやのようなゆげのような形のない気配の流れとして見えるようになった気がする。マッチョにもならず老けもせずみたいな全部かわらないふたりの感じなんだけど、そこに踏みならしてきた足元があるのがよく見える気がして、そこにうわあおっきくなったねえと思える親近さでもって言っちゃうのがキセルかな。
アルバムのなかですきな曲は後半に多い。暗い曲がやっぱすきだあと思ってしまう。そんなそこにいる、ミナスの夢はアルバムの順番通りにきた。そこにいるのあとの会話で兄が、まあどれもダンスチューンだと思ってますがみたいなことを言っていて、いい心意気だね!と思った。ミナスの夢の 回るレコードの針の下 とか 羽の生えた声 とか赤い道 といった言葉が印象的ですきだ。そう思っていた言葉たちは生で聴くとよりぐっとした肉付きをもってたちあがってきてくれる。兄の歌声がものすごく近くで聞こえるかんじになる。視界がゆらぐ。クローズアップする。あの日の明るい 幻 という最後の歌声がひびく。
そんで次の青空にだったのかなあ、二人のハモりがもうすんごくよかった曲があって。サビ前にかけてのあがりとかで、まあときどきあるんだけど、二人の声が異様にハマってて声だけでトランス状態への入り口にぐうううんともっていかれそうになるやつ。あれを聞いてしまってやばいと思った。
たまにはねを二人だけでやって、昔から思ってたけど、キセルのライブはなにをどうやって音を出しているのかけっこう謎だ。謎のものが多くてあれこれ色んな事をやっているのだけなんとなく想像する。でもそうゆうのが昔よりもっと興味もって見聞きすることができる。どうしてもギターには特に目が耳がいく。兄のギターがけっこうすごいな、うまいなとか思っちゃう。いやあでもほんとギターはじめて前よりライブ見聞きするのが、いろんな楽器の演奏を見るのが楽しくてしょうがないってのはすごくある。
そんで弟の曲を2曲と言って、兄が僕はギター弾くだけですみたいな発言をしてのギター弾きに専念する花に変わるはまた新鮮に見えた。次の絵の中でもすごくよかった。これはライブですごくよくなるなと思った。アルバムのなかでも一番風景が強い曲だなと思う、曲の要素も歌詞もよく相まってるなあと思う。はずむエマーソンさんのキーボードが楽しい。たった一曲、花に変わるで兄が歌わなかっただけなのに絵の中ででまた二人で歌うとすぐに新鮮に聞こえたりしたのもおもしろかった。やっぱり弟の曲はどこかへひゅっと飛び出た世界で、兄もそこに一緒にのっかって飛んでゆく気持ちなのかなあと思ったりする。
次が空の上。これがアルバムのなかでは一番好き。風は光を受けて輝き という歌詞がすごく好きだと思う。風が光を受けて輝くという情景を、想像しては頭がぼやっとして一瞬微熱をおびるような。すごくうまくきりとってるなあと思う。どんな風に見たんだろうって思っちゃう。
ギンヤンマは去年みたときもすごくよくなってたから期待した。今回もすごくよくて良くて、色んな事いちばん思い出しちゃう。かけめぐっちゃうんだな。だってこれ昔からすごく好きだったんだよ。近未来出すまえにシングルでだしてるけどそのシングルだって買ってるもん。PVもすごくよくてスペシャでよく見てて、でもyoutubeにあがってない。この曲って16、17のころに聴いてて、率直にはげまされた曲だった。シロップ聞いて安らぎを覚える私にはこの曲の歌詞はどこか遠くへいくことを、前に進むことを歌うこの歌は受け入れがたいもののようでいてでもそんなあまのじゃくなこころもふっとばして入ってきてくれる歌だった。この歌だけは素直に前を向くことをうけいれられる曲だった。結局のところこのギンヤンマって曲はそんくらいふところの大きくて、こんなもんじゃないよっていう景色を広げてくれる曲だったから、だから私はこの曲にならゆるせる自分になれたんだと思う。まあそんな曲だったから、それからすっかり育てて昔よりもずいぶん豊かな彩りやリズムや奥行きをもった曲になっていてすごく嬉しいし、ほんとうにすごく良い曲になってる。あいかわらずしみこんでくる歌でいてくれてる。二人の歌のかけあいは匂いをよりたちこめてくる気がする。わかんないけど、キセルの二人はうじでそうゆう景色を見てきたのかなっていうか、この二人がこんな歌を歌えるのはなんでだろうって思ったらそれは育ってきた場所や環境なのかなと思うと宇治に行ってみたいと思ったんだと思う。少なくとも初期の頃の曲にはそうゆう二人の生まれ育った土地のにおいを感じていた。だから宇治行ってみたくて、実際行ったわけなんだなー。
アンコールでは近未来からの春とベガをやっていて、近未来は一番聞いたアルバムだからもう歌詞も全部覚えてて歌えちゃうからぐっときちゃう、泣いちゃう気持ち。歌詞の言葉がぜんぶ生まれてははいってくる感じ。むすんでみたりひらいてみたり なんて歌詞が、じぶんのなかでずっとそこに描いてきてる気持ちが解き放たれちゃうような心地。
ダブルアンコールでは今ツアーではリクエストをもらってカバー曲をやってますってことだったんだけど、東京でははじめて演奏する曲をということで細野晴臣さんの季節の終わり。弟はノコギリ。なんかもうその図がね、兄は立ってギター、弟は椅子に座ってノコギリで、その二人の間から生まれてくる音楽がたしかなもので、それでいてまるで魔法をかけられてるくらいな幻想なんじゃないかっていう、見えないものを見ているような、その瞬間にしかない幻を見たような感覚だった。それは演奏が終わればふっと消えてしまうもの。音が声が歌が空気が音楽になるんだよっていう瞬間の時間がそこには流れていてそこに一緒に立ち止まることのできる幸せかなと思う。
全体にとてもよいライブだった。すごくよかった。会場の空気がどんどんまとまって大きくなっていくような雰囲気もよかった。それでいて個人個人のゆったりしたペースが保たれている感じもキセルらしいなと思うし。一曲一曲にどんどん魅せられていって、山登りをしているみたいに時間が流れていった。一曲ごとつづきであり違う景色を見ていってるような。弟がアンコールでもっかい最初からやりたいくらいみたいなことを言っていたけど、そんくらいほんとに楽しくて楽しくてまだまだもっと登りたいようなハイになる感覚があった。いつなでも続きそうな気配も感じられたけど、それはまた次のライブへの期待や予感でみたしてくれそうな気がする。アルバムの曲たちがライブでより魅力的になっていたという点で、よいツアーをまわってこれたんだなあと思って、これからがまた楽しみだなって思う。

またこうやって見れてうれしいなー。音楽にこうやってまた触れられるようになったことが、ほんとうに嬉しいと思う。わたし生きててよかったんだなって思う。