液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

先週の土曜日にはMOSTINCAPACITANTSのライブをスーパーデラックスへ見に行った。モーサムをけり。MOST見るのなんて、ああはたまた十年以上ぶりかというこの展開。いったい私は今もう一度思春期時代を青春を焼き直してでもいるのか?と。でも結局その頃好きになった音楽が今でもすきで、変わらず好きでいれて、また聞けるなんて、すごいことなもんだ。そうだって、6月からろぼツアーあってシロップツアーあってモーサムツアーのある7月あって8月おわりにキセル野音ワンマンときた。私の大好きな人たちがすごい波でやってくる。それを迎え撃つきもちでいけるよう体力を備え、仕事をがんばらにゃならん気持ちでいるところ。じゅんびじゅんび。という楽しみへの緊張感に対する心構えなだけだけれど。いやまあしかしよくみんなタイミングかぶってきたなあ。特に個人的にはシロップとモーサムがツアー同時期にあるなんて見れるなんて、くすぐられる。すごいことだと思っちゃう。べつに交流があるんでもない両バンドだけれど、年齢や
メジャーデビュー時期の近いこのスリーピースは私にとってそのひりひりするよな痛々しさもかじりきれないような苦々しさもどうにもいとおしい存在だった。ように思う。今はもう昔の彼らの年齢に私がなった。しんじられない事実まさしく。でもいつまでもきらきらした存在でいてほしいとか思っちゃう。かっこよさとか憧れとか、そうゆうのが好くなからず含まれちゃってるんじゃないかしらと。
そんなことを携帯の画面でつらつら書いてたらもう1週間も日が過ぎたわけだが。
MOSTのライブ見てたら、最近なんだかふとふと思い出すことをやっぱり思い出した。それは私はライブハウスの空間が好きだったなあそういえばということ。ステージがあってお客さんがいて、みんなそれぞれ好きな音楽があって、そこには熱狂してしまう演奏、パフォーマンスがあって、それに感応しあう率直な素直さがあって。でも改めてそれを感じると、なんて特異な場所なんだろうとも思った。こんな場所が空間が、いまこの世界にはあるんだということがすごく奇妙に感じられる気がしてくる。みんな知らない他人なのに、今この場所では同じ方向を向き同じものを見ている。その、みんな知らない他人というのは子どもの頃と同じでありまた違う視点でもある気がする。一人でライブハウス行くとついまわりの人を見る。じろじろ見る。その見る見方、視点が違うのかな。いろんな人がいる。みんなどんな仕事してんのかなとか、どこでどんなふうに暮らしてるのかなとか、どんな人となりの人々が、いろんな人々が、ばらばらで様々があるんだろうなと思う。そうゆう人たちがしかし
今ここに集まっているんだなあという特異性なんて、どこにでも無数に存在するけど、ライブという一度きりの場に集まる群れから熱が発せられるというのが他では感じないなにかなのか。
昔はわからなかったような思いが今はある。それはもう今が子どもじゃなくなったからか。でもでも、ふいに10代のころに見た記憶の映像がバっとちらついておりてくる。その同じと、同じではない差異の両方がいつもいつもまとわりついてくる。きちゃう。今はまだそれらがまだらに混ざりあっているかんじ。わからんがそれらがもっと一色になってしまうくらいとけあったものになってくれたらと思う。
山本さん側で見た。ステージ低いからみんな楽器の手元がみえないのだけ残念。山本さんはマスクにメガネ。案の定コーラスうたうとメガネくもるのね。ああ山本さんのギターがかっこいー。リフでびゃあーーと電気が流れてくるみたいに生き返らされるような。ああなんてMOSTはかっこいいんだ。まっすぐなんだなあ。なんもかんも余計なもんはすでにふりおとされている。ただ歌が歌われること音楽が鳴らされることが必要とし、されている。そこはメンバーもお客さんも同じに素直でまっすぐってことかな。はじめてMOST見た日のこともよく覚えている。そんなんついこないだみたいなんだけど。それはずっとリアルタイムな感覚。


水曜に夜現場行く前、新宿タワレコに寄ってモーサム新譜を購入。うん、いいな!いいかんじ!全体の流れがよく、ラストが胸きゅんだ!ライブで聞くのが楽しみになる。CDではイサムさんが叩いてるんだもんなーと思うとそれだけでにやけてしまうことからあれこれ考えめぐらせてみると、やはり私にとってイサムさんはなかなかのアイドルなんだなと思う。タケイさんはみんなのアイドルだし、シロップはまた全然違う、芳垣さんはほれぼれ。イサムさんの茶目っ気みたいなところはダウン着てライブするとかふくめなかなかの要素を持っているんだなと再確認。はやくまたライブ見たいなあ。