シロップのチケット発券につづき、新曲のMVが(いつの間にPVという言葉は消えたんだろか)公開された。うわあ、ざああーっと波が砂浜でひいていくみたいに、うわあ、シロップの新曲を私は今聴けているなんて、というさらわれるような心地を思う。五十嵐隆でもなく犬が吠えるでもなくシロップの新曲をこうして聴けるなんてさあ、ねえ、そんなことってあるんだあるんだあるんだなあ。シロップも新曲、そう言っただけでもはや魔法の呪文の現実的じゃないような気がしてしまう言葉なのに、うわあーこれがー今という今のつい今という同じ時のつらなりに作られたシロップの新曲なんだと思うと、うっひゃーと思う。私がまたシロップの新曲に出会えるなんて、うーん、信じられん。すごいな。
去年一度見ただけでいまいちやはりシロップが復活しましたということに慣れ親しめていないような気はする。今回も新譜とツアーがあってそれだけ。それが終わったらまた何の音沙汰もない日々を他の日常とともに送り続けるしかないんだろうかと思うとやはりさみしい。まあそれでも定期的にでも見れたらというのと、昔のようにいろんなところでいろんなライブを見れるのが楽しいんだけどなというのと。同じものは求められないかなという気持ちと、じゃあシロップはこれからどんなんになっていくのかなという気になる気持ちと。
もう昔とは同じ気持ちでない私がいて、その私は新曲やライブをただただ喜んでいるし楽しみにしているし受け入れている。またそんな風に出会える日がくるなんて、本当に信じられないと思うのと、その信じられなさをふくめて楽しんでいる自分がいる。
何かが誰かにとって特別だなんてこと、そこには他の誰も介入できない世界で、その何かと誰かの間だけで親密に紡がれているもの。他の誰にも見えない色で景色で重みで痛みで記憶で愛しさで繋がっているもの。そのことの重さは本人だけが分かってる。シロップが私にとって特別かどうかなんて、今になってはどうでもいいような気さえする。今だけで感じるものならばそれで正しい感じがする。けれどふいにまるで昔に戻ってしまうみたいに気持ちがゆさぶられてしまうと、自分がどんだけこのバンドに影響されてきたのかを実感してしまう。それはもうりくつでなくただ事実現実がそれをぜんぶ照らしだしちゃうんだなあ。それに救われるんだろうか。