液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

昨晩に腹痛、その感じが少し前にもあったし、もうその原因の心当たりありすぎで年を重ねてくるといろんな不調がどんどんどんどん表に出てくるというのが良くわかる。放出されてくる。若きころは考えすぎても頭痛も腹痛も眠れないこともなかった。そもそも風邪を簡単にぜんぜんひかないから体は多分頑丈なつくりなほうと思う。しかし最近は湿疹みたいな貧血ななにかが一年に一度はあるし、とりあえずイライラ考えこむともろに腹痛として出てきたりするし、肌の調子もなにかしらの影響をもろにうけてか露骨な不調の表出をしてくる。
一人で考えこむことはよくないだろうと思う、それはわかっててもそうせざるをえない状況になぜか自らぐるぐるはまりこんでいく、気づいたらもう誰かに話すなんて無理だと判断する状況になっている。時かなにかがどうせしょせん解決するだろうと頼る。考えるのをやめることとに頼る。好きなものにお金を使うことを考えることに頼る。まあそれらどれかが出来ればもう大したもんじゃないか、どうせとるにたらないどうでもいい自分の不満苛立妄想仮定気まぐれなことがらにすぎないんだから、考えるだけむだ。ということをわかっててもぐるりの引力が強いと気分も体ももっていかれてしまうから気をつけないといけない。


ライブの感想を書き記しておく感覚がすこしずつ戻ってきた手応えがある。去年はまだぜんぜんうまくいかないというか、言うならば勘がもどってこないような感じがしていた。今でもまだ昔できていたようなことができていない気がするところもあるけど、ライブで見聞きしインプットするところからアウトプットするまでの一連の流れの体勢みたいなものは戻ってきたかんじがする。それは自分の中の器官が使われているか否かという感じが明確にある感じがする。
しかし改めて書いていると我ながら本気で気持ち悪い気がしてくる。稚拙で雑で読み取りずらい、その雰囲気全体がもうこれ気持ち悪すぎて大丈夫なんだろうかとまともな迷いの不安がよぎった。でもそれは十代の頃から思っていたものとある程度同じのような気もして、なんだ結局なんも変わっとらんのかという嫌な安堵感。でもまあいっかと納めてしまうのもおなじ?
器官とはどんな何か?それはイメージのしやすい記憶力というものであったりその記憶力を発動させるためのものであったり使われた記憶力を次の作業につなげるためのものであったり、というイメージ。受け取りためこみ出すところまで、それが繋がっていてスムーズじゃないとだめなんだろう。ただ感じることや思うことだけではないというか、鈍るとなのか、まずその感じたりすることがうまく掴めなくなっていた感じがある。
何かを感じることそのものを言葉にして自分で理解しようとすることの難しさというか、掴みずらさみたいなものはアートを見だした時が一番困難だったかなあと思うけど。そうゆう意味でも習慣や訓練でなるべく使っておかないと簡単に衰えていってしまうような音を聞く耳や見る眼や立っている身体や全部が集まってくる脳のほう、全部が駆動してまわりはじめる感じはおもしろいと思う。