液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

はてな書く下敷きになればと思ってtwitterを5年半ぶりに再会しみたら全然生かされてこないという。だめだなー。やっぱキーボードないとだめなんかなとか思ったけど、まああっても変わらないか。昔はなんであんなに書けていたのかと思うけど学生まではひたすら時間が許されていたからなのかなあ。もうかなわないのかなあ。新しいキーボードつけれるiPod欲しいけどそこまでお金出せないわっていうお値段だ。今週はいらいら感がありギターの練習がたのしくならない。

書いていない間にふたつライブに行った。とりあえず今月の10日はリキッドルームでthe fin.とdownyPolarisの組み合わせ。最後のポラリスは体が万全じゃないからか疲れちゃって腰が痛くなりすぎたので1曲だけ聞いて帰ってしまった。でも2曲目に光と影が聞こえてきてなつかしかった。
downyは見るのも2回目になってステージもめっちゃ見やすくて今までライブ映像で見てたものがそうかそうかこういうことかとよくわかることができた点がとても楽しかった。間にライブ中継もあってそれ見たから気持ち的には3回目くらいの余裕もあったのかも。
downyライブをみて疑問というかどういうことかなみたいな自分のなかでのひっかかりみたいなものは小野島さんによるインタビューhttp://1fct.net/interview/interview036読んですこし解決するところがあった。
downyのライブはかなり音源の再現性が高い。むちゃくちゃ高い。そこには音源と遜色がないということ、完全に再現していく、要はライブアレンジみたいなものはないんだなという驚きがあった。ライブアレンジがないっていうのは私が他に見てるバンドとの大きな相違点でけっこう驚いた感覚。メンバーは演奏に徹してmcは最後までほぼなくてっていうのはROVOと似てるけどROVOはライブアレンジというかその都度の変化みたいなものが部分部分で生まれている感じがあってそれがダイナミズムみたいな流れになっていくけどdownyはとにかくそうゆうのはない。ステージ上ではメンバーのやりとりみたいなものは薄くて1曲1曲がたしかに描かれ、演奏中は完全に個々のやるべきことをしているように見える。その冷たさとも言えるような淡々さと確実にあわさっていく音の再現性の高さはまあでもそもそもdownyのやるべきことのものなんだなあ。
再現性が高いっていうのはいつも同じっていうことになるのか?と一瞬疑問に出た。でもやっぱりそうじゃあないんだろうなあ。その都度に何度も襲われるスリルを味わいたくなる。その完璧さはなんでどうしてできているのか分かりもしないけどもっと近くにいって見てみたくなる。
最近思うに例えばモーサムは昔から見ているせいかモーサムという安定感が自分の中にはできていて、急にとっぴなことがあっても自分のなかでそれは解釈可能だったりする。メンバーの顔見てもはや昔から知っている人みたいな感覚になっちゃうっていうところもある。そう思うとdownyのライブはまだまだ魅惑的なところが沢山あって、まだ隠れていて、自分の無意識下でもまだぞわぞわしているようなこれはなんなんだろうという意識すらまだ持てないものが見え隠れしている気がする。自分のなかでまだいくつもすっきりしないというか、自分の中にながれこんでくるdownyのおとしどころみたいなところが不明瞭なものがあれこれある気がする。温泉か溶岩がふつふつ泡ぶくあげているみたいにふがふがもごもごとしている。
しかし以降ライブの予定が決まっていないらしくさみしい。


8月30日は野音キセルを見に行った。結局だいたい雨だった。最後の最後にはやんだけれど。今年はろぼも雨だったし(ろぼの時にはやんだけど)、めったに行かない野音で雨つづきしたなあ。中盤、その雨のせいでなんとなく疲れてきてしまった気もするけれど、最後は立って見ることができて、あーやっぱり野音は立ちあがって見るのが気持ちいいなみたいなことに落ちついた。

グッズ先行販売に15時半頃いったらリハが聞こえてきた。グッズ買いおえて開場待ってたら、うわっ、えっ、うそっっ、だっ?!というような驚きにみまわれた。おにが聞こえてくるではないか。弟の声が、うわあうそうそ信じられないあれこれほんとにおに?!と思うくらい、いやしかしこれはおにだ。ぼわわわあんと大きなしゃぼんだまが頭上にふくらんだように包まれた。うーわー、おにやるんだあ、という驚きと喜びではじまる前から骨ぬきにされてしまう。おかげで本編もよかったけどこっちで衝撃使いすぎたのもたしか。たぶん、近未来ツアーのときにもきいてるかもしれないけど、それにしてもそのあと聞いたりしたことはなかったはず。
まさかまさかやるとはなあ。でも今やるおにはすごくよかったと思う。あのきらきらごろごろした音がやさしく丁寧につくられていた。あれはあのときの音源ならでらの音かなあという思いもあったからライブで再現というのもむずかしなのかなあと思っていたから、そこがぐんとたしかに今このメンバーで鳴らせる音として、それでいて曲がもつもともとの不穏なやわらかさみたいなものがそのまんま繋がっていたところが本当によかった。弟の声の入りが低いところだけにはなんだかもう少年じゃないんだなあみたいなものをしんみり感じてしまったんだけれど。

ステージにでてきた2人はいつも以上にぺこぺこおじぎをしながら出てきたから、らしいなあって思う。大きなステージにきても、なんかぜんぜん変わらないから、まるでぽおっとただ公園に座っているおうな気分になった。兄はぜったい晴れると思ってたとか言ってたけど私もそう思っていたよ。はじまりから夏仕様な曲そろえてきたというけども、雨って歌詞がけっこう何度もでてくるからこの日の雨模様ももはや避けられなかったんじゃないかとさえ思う。また兄が明るい幻についてもっと売れるかと思ったのに的な発言をしていて兄はわりとこう積極的な発言するなあと思うし弟はそうゆう時そこで相槌も否定もしないバランスなんだなあと思う。
カバーアルバムの発売ということでそこから3曲。終わりの季節はほんといいなって思うけど音源ではノコギリ入ってないのかーそれが残念。ショック。しかしこの日披露したゆら帝のひとりぼっちの人工衛星は事前にゆら帝の原曲聞いてたけど兄の声ではまっていてすごいなと思った。フチガミトフナトの曲もすごくよくて、そういえば名前は昔から見聞きしてきたけど聞いたことないなと思って聞いてみようと思ってまだ聞けてないな。このカバーアルバムはめちゃくちゃよいと思う。
最後はちょっと前方がもりあがりすぎてる感もあったけど、ギンヤンマ始まったときは思わず立ち上がったなあ。ギンヤンマは何度聞いてもしみちゃう。十代のころに聞いてた感情があっという間にながれこんできてあっぷあっぷしてしまう。ギンヤンマがこんな曲になるなんて、ほんと、昔は思わなかった。いい歌なんだなあ。
なんかでもあっという間だったな。