液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

先月はなんやかやの長さと短さで書いていないけれど、17日は山本精一さんのレコ発2daysの1日目ソロひきがたり@吉祥寺スターパインズカフェを見に行き、26日はモーサム@下北沢ガーデンを見に行き、28日はアルタード・ステイツ3day@新宿ピットインの1日を見に行った。これで11月は7本ライブを見に行った。特に後半がつまったけれど、とりあえずお金をけっこう使った感がある。シロップが高かったしなあ。でもこんなに一月で行ったのは十代ぶりかなってくらいだし、そのころはそうしたらきっと半分くらいは無料ものだったろうと思うと、お金を使えるということの違いはえらくでかいなあと思う。われながら我がごとじゃないようだ。
でもふりかえると、もう、16のときに見てた面子と変わってないんじゃないかっていうラインナップでそれはなんかもう語ることができない事象がたくさん含められてしまっている時空間のように思う。こんな29歳になっていることを誰が予想した。
29歳っていうのは、私がシロップやモーサムを知ったときの彼らの年齢だ。まあ正確には±1、2くらいあると思うけど。でも当時この人たちは28とか29くらいなのかーと思ったのはよく覚えていて、それはけっこうまあまあ遠い世界だった。なんの想像もしないしつかない世界。でも、おとなだとは認識していただろう。そのころはまだ大学生ですらよくわからないものだったろうし、とにかく18歳以上は、高校生ではないということだったし、高校生という縛りのない人たちということではもう一緒くたみたいなものだったのかもしれない。だから当時知り合った方たちはけっこうみんな何歳上だったかとかがあやふやで、そこからも、自分にとってはただ年が上の人たちというざっくりした捉え方だったんだなあと思う。
そして気付けばいつの間にか自分も29歳になっていた。ああそうかついに自分もこの年まできたんだなあっていう感じであり、よくここまで生きてこられたなあっていう感じであり、自分がここまで生きてくる予想はなかったように思う。自分の生きているイメージを持つことが希薄だったのかなあ。けっこう意外だなあっていう感じがストレートで素直な感想かもしれない。意外だけどまあ、奇遇ってことかもしれない。
でもね、その、私が憧れた彼らと同じ年にくることができたのは、なんかすこし嬉しいことなのだ。それは、ようやくそんな彼らと同じところにこれたんだっていう気持ちとか、あんなにかっこよかった彼らに負けたくないような、ふり返ったときにはずかしくない自分でありたいと思う気持ちとか、その当時の彼らにすこしでも近づけるんだろうかっていう気持ちとか、そんなもろもろがあった。ある。
二十代をふりかえれば、なんだ、なんかろくなことがなかった気がする。いい思い出なんてひとつもない気がする。なにもなかった、ということにひとまとめにしてしまいたいという自分の意識が発生してしまっているくらいだ。でも、やっぱり長く辛い時間が多かった気がしてしまう。どんよりした風景が一番手前に見えてしまう。ふりかえることなんてなに一つない、ただ、ぼさぼさの、荒涼とした土地と、暗く重く湿った空が、ぼうぜんと広がっている手応えがあるだけだ。その実感は間違いじゃないと思う。それが自分の選んできたものの形だと思う。思い出したくないとは言わないけれど、苦しかった感情なんてあっという間にすぐまた飛び出てきて喰われてしまいそうだから、また餌食にでもなりそうで、それはいやだから、思い出すのはためらわれるところもある。けれど、それしかものの実態がないような気もしてしまう。自分の20代ってやつには。
だからなんか29歳は好きにしようって思った。お金はまあ少しはあるし、もう恐れるものは減った。恐れるのはもうやめだ。好きなことして終わりにしたいと思った。どうせだから、せっかくだから、なんでもいい。好きな音楽を、ものを、求めたらいい。それでいいか、っと。
あと3ヶ月もないけれど、残りもそんな感じで。