液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない


最近はまたちょっとここを書く意欲が薄れてきてしまっているなと思う。ツイッターでふぁさっと書いてしまってそれをこっちでもっとだらだら書いたらもっと楽しいかもしれないと思うんだけども。だからって自分のツイートをふりかえってまた一からそのネタを広げようとしても広がらないなんか違うってわけだ。つかまえるなら本気で行かないと常にするする逃げていくってわけだ。ああああ

さりげなく11月ふり返りvol.2、渋谷のパルコ劇場でオレアナをみた。田中哲司志田未来の二人芝居。舞台セットがおもしろい。たったひと場面、大学教授の部屋なんだけれど、それはまさに学問や権威の象徴のような、雄弁ななにもかもなんだけれど、その部屋の主がそこでどうなにを現し、もがくのか、みたいな姿がとてもおもしろかったと思う。田中哲司はまたもや膨大なセリフ量。量が、多い。しかし困惑したり、誠実であろうとしたり、いそれを電話のベルの繰り返しの中でいったりきたりする姿はあらゆるつじつまを合わせようと、その部屋の主としてのつじつまをあわせようとするんだけれど、必死になればなるほどそのほつれ目から介入されてしまう。せつなくて、にがい。ああやっぱりいいなあ田中哲司と思わせられる。
また志田未来も鮮やかだ。前半から後半へとぐっと攻めこんでくる。しとやかに、何食わぬ顔をして。その豹変、ではないが、よく意味のわからないような、その意味のわからなさそのものの主体としてしかし行くべきところが最初からあるという目標そのことだけが彼女をひっぱるのか。強さとかよわさとは常に同居していてどちらも嘘でもない。
二人の個々や間柄が変容していく様がおもしろい。またその背景やまわりにいる人たちや、ものごと、いろんなものに二人はひっぱられ操られているようでもあって、二人そのものが本当はよく見えなくて。でも、ちらと見えてくる、そんなところのせめぎあいにひきこまれた。

原美術館そこにある、時間─ドイツ銀行コレクションの現代写真を見にいった。行ったとき、普段より人が多くてざわざわしているのが気になった。原美術館はつくりが小さいから、うるさいとすごく気になってしまう。だから、なるべく人を避けて順路は気にせずまわるようにしたけど、しかしやはり美術館でしかも響きのいい原美術館で数人で喋りながら見て回るのは遠慮してもらいたいと思った。喋っちゃだめなんてことはないわけだけど、やはり周囲のことを気にする必要はあるんじゃないかと。まあその人たちもいつのまにかいなくなってたから後半はすんなり見ることができた。
いろんな人の作品を見れてよかったけど、特にルイジ・ギッリの作品を見れたのがよかった。去年くらいだったか写真講義という本が出ていてそれで知った。まだ買えていないが、気になっているまま。3枚展示されていたかな、どれもよかった。すごくきれいだ。静かでひっそりしているけれど、その色や匂いが上品にかもしだされてくるようで。はっと世界がそこだけ違う。空気がながれていく。その時間の中でいつまでも見ていたくなる。ひっかかってしまう、落としてしまったなにかみたいに。よしやっぱり本を買うべきだ、っていうか写真集とかは出てるんだろうか。もっと見てみたいな。色がきれいなんだなあ。誘発する色。
原美ではいつも常設も見る。何回も見てるけど一応見る。奈良美智の部屋はやっぱりいいなあ。また、前来た時とは違っている気がした。ずっとここにいたいような気になる。そしてその部屋の匂いをだきしめて包んで持って帰って自分の部屋へ広げたくなる。けっこうこの部屋に入らず去っていく人が多いけど、もったいない、でもそれでもいいかとも思う。

資生堂ギャラリー小沢剛展 帰って来たペインターFを見た。Fとは藤田嗣治と言っていいんだろう。小沢剛の現実にはもしもで語れないものがあるが芸術では可能であるみたいな文章がよかった。もしも、で語りあう、ありえたかもしれないものごとに対してまなざしを向ける思考を寄せるというのは、現実においてはなかなかけっこう難しいと思う。自分自身でももしもを考えてしまうとなんかそれはむなしい気持ちになったりする。けれど、他者とのコミュニケーションを通じ、経て、見ようとするもしもにはなんだか心強いものがあるように感じられた。もしも、とはなんなんだってことをどストレートな絵画で表現するところがなんだかまた面白くて。目の前にたつ大きなキャンパスにのっている色、線、形はしかしあえて作り出された世界、想像された世界であって、でもそのやわらかさにふわりとのりこんでしまう。そのやわらかな導入がよくできているんじゃないだろうか。思っていた以上にすんなりとこの展示のものごとに入りこめてしまった。すごくよかった。もしも、を考えることに肯定的であることが、そうか、あったのか。

ギャラリー小柳では佐藤充を見た。前の個展は3、4年前だったか。なんかまたぐんときれいになった感じがした。描いても描いても描いていないとどうしようもない人たちがいるんだろう。描いていないと生きていられないようなもんなんだろう、かと想像したりする。描くことは生きてることそのものになってしまうんだろう、か。わからないし、何かこじつけのような決めつけのようになってしまうからあまりたやすくそんなこと言ってしまうのも間違いかもしれないけれど、なにかを追い求め続けているような、それそのものが呼吸のような切迫感をもったものづくり、表現をする人たちがいて、その人たちとはたして私は対峙できるのかなと思って想像して不安になる。