液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

SYNCHRONICITYを見に行った。とりあえず開演時間15分前とかにチケット交換いって、NESTのworld's end girlfriendを見ようと行ってみたらすでに人つまり気味。すみのほうは空いてるでしょーといってみたけど、こりゃもしかして一度ここをぬけてしまうと次の次のdownyで戻ってこれなくなるんじゃないかと思え、これはdowny目当ての身としては他の場所行かず待機だなと思った。案の定、NESTはずっと入場規制がかかっていたらしくdowny見れなかったって人もけっこういたみたい。
はじめて見るwegは、最初ステージ上に何人の人がいるのかもよくわからず、はけてく人がいたからそれでようやく見えたら思ったより人がいてびっくり。ヴァイオリンにチェロの人までいるのか。でも全体図はよくみえず、鍵盤のような音が聞こえるけど姿はみえず、わからず。映画の空気人形のサントラは大好きで、あれだけきれいなメロディをつくりだすのは苦でもないというか、手がけられる音楽の範ちゅうが広い人なんだろうなというのが勝手に思っていたところ。
ふといノイズのような音ではじまり、びりびりした音圧の迫力にがつんと包まれてしまう会場空間ぜんたい。どうかなー、自分の好みにふれてくるとこあるかなーどうかなーってとこだったんだけど思っていたよりは好きな気がした。いろんな要素がまざってるというか出会っている感じはプログレみたいなかんじなのかな?とか思ったりしつつ。なんせ演奏が人数多いのにびっちりあわさっていて次から次へと新しい展開にいくと更にたのしい、気持ちよい。弦楽器の音の重なりがとてもきれい。全体にはふとくて豪快な音だけどとても繊細に各楽器の音が重なりあっているのがオーケストラのよう、というかそうなのか。

次はTHE NOVEMBERS、はじめて見た。自分が特に知らないということもあってついまじまじと見てしまった。ギターが2本だから、その役割とか。けっこうな轟音。これは次のdowny聞こえづらくなっちゃうかもと思いつつ。

終わったら人が少しは動くかと思ったら前方の方はぜんぜん動かず、ファンがかぶっているのかやっぱり堅実なdownyファンは準備よく前々から待機していたということか。2バンドぶんが機材セッティングされていたこともあり、downyではメンバー総出で一から機材セッティングしていた。秋山さんは完全に山登りスタイルみたい。そういえば来るとき、109の前で秋山さんを見たんだった。ついじーっと一瞬見つめたけど、秋山さんはいつでもほぼクールフェイス、ドラム叩いてるときと変わらん顔されていた。わりとさらっとセッティング完了。ほぼほぼタイムスケジュール通りに動いていて、むしろ1.2分まってスタートしたように見えた。

セットリストは以下
凍る花

左の種
春と修羅
曦ヲ見ヨ!

猿の手
安心

4〜6あたりの曲順はあやしい。新曲の凍る花はやっぱり映像がかっこよくて、曲の雰囲気ともはや自分の中でがっちり組み合わさる。冷たい呼吸。にぎりしめる冷たさのぬくもり。かっこいい。
ちょっと音のバランスが悪いように聞こえたりする曲もあって、また全体に小さく聞こえてしまうのはやはりNOVEMBERSのあとだからか。でも、ロビンさんの声が熱をおびてくる春と修羅の後半くらいからそんなんも気にならなくなる。あらためて1月の熊谷のときの音はさいこうに良かったなーなんて思ったりはしてしまう。なにかあそこには鮮烈さがあった気がするんだ。春と修羅のロビンさんのキーボードの音はなんであんなにかっこいいんだ。ガラッと違う景色になる、その一瞬まばたきをしたすきにほぼマジックみたいにでもただ水たまりをかるく飛びこえただけのようなたやすさで。
弌はなぜかそのとき曲名が思い出せなくて出せなくてあれー?と思った。downyの曲はよくそんなんがある。音源とびっちりあわせてきてるのに、ゆえにかなんなのかどうしてもライブで目の前にあびてしまうとそのあび量のしぶきの体感がはんぱないというのはすごくあってそれでなのか曲名がわけわからなくなる。記憶の錯覚。その錯覚っていうか錯乱の状態がまさにdownyの曲のように、曲にひっかきまわされてしまうようで、ほんとなにがなんだかわからなくなったりする。ただ、秋山さんのドラムの音にひたすらのっかって気持ち良かったから家帰ってそうだよ弌じゃん!と思い出せた。
いつもながら裕さんはぜんぜん見えない。たぶん下手寄りにいかないと見えないだろう。でも最近はついたいロビンさん側ばかりに来てしまう。そしてたぶんいつもロビンさん側にいて、曲間などで声をあげる男の人がいて、この日も、あ、同じ人かな?っていう声がいた。姿はわからないので、声だけなんだけど、なんとなく、あれそうかな?と。そしたらなんかその知っ てる声ってだけで安心感がわいたりした不思議。なんとなくそこに自由にdownyのライブを聞くことが許されてる余白みたいなものを感じる。
猿の手柄きたー!と思って、腕時計で時間を確認しましたとも。安心やる時間はまだあるかな?って、そおーっと。あった。まあ今年に入ってから定番のながれだけど、ひやあーっとした。やっぱ熊谷思いだすねえ。ロビンさんのギターがフレットをセーハでかなり移動するのでそれを見ていいなーと思う。あんなんかっこいい。まあもう安心のときは身をゆだねすぎてて頭も我を忘れてしまうため今度はもうちょっとよく見聞きすることに力をいれようと思う。ぐっしょりする気持ち。前の方にいたけどちょっとつまり気味感があって窮屈だったかなあ。

そのあとはEASTでgroup_inouを見た。はじめて見た。人気あるのわかるなあっていうくらいお客さんとあったまったライブをしていた。なかなかけっこう楽しくて、例えばずっと音楽にふれていく自分がいたら当たり前みたいにもっとこうゆう音楽を知っていて聞いていたりしたんだろうかというような想像がうかぶ。自分に他にあったかもしれない自分がいただろうか。

そのあとはサブステージD.A.N.を見た。半年前にもここのサブステージで見てるんだった。でもなんかそのときよりまたぐーっと気持ちよい音楽になっている気がした。なにより認知度などもたった半年であがったんだろうなっていうムードがあった。若いのに落ち着いててこびてなくてさらっさらだ。丁寧に音楽を提供してくれるなあと思う。ファーストアルバムができました、とか言っていて、うっわ新鮮でいい響きだなーと思った。ファーストアルバムなんて、たった一度しかないことだ。もう、私が好きな人たちにそれはないから、ファーストアルバム、それだけで初々しくて爽やかだ。スティールパンやコーラスやらやらをやっている女の子はメンバーではないんだとあとから知ったけど、あの女の子の役割はすごいでかいのではないか。いるのといないのとじゃ全然違うんじゃ。なんか音楽がそのまんま流れてそうな体で奔放にかろやかに鳴らしていて、素敵だなと思った。こうゆう人が音楽を鳴らせるんだなあと思った。

そしてすぐに次はメインステージでクラムボン。大人気ってかんじで、男も女もみんな当然クラムボンが好きでしょみたいな。クラムボンもお客さんも互いにできあがっているのだ。それは長く続いているバンドなら多かれ少なかれみんな持っているというか、続けてきた存在そのものなんだろう。
私がクラムボンを知ったのは中学3年か高校1年か、くらいにスペシャでパワープッシュとして君は僕のものという歌がくり返しかかっていたときだと思う。白のバックで郁子ちゃんが鼻血をたらす、んだったような。だからずっと前から知っていると思うのに、ライブの縁はなく、なんと見るのは初めてだった。でも今年に入ってドラムの伊藤さんだけ秋山会で見てるのだった。
なにもかもは流石だなーというオーラ。そして楽しい。なんかみんな楽しそうだし。でもそんな雰囲気はちょっと苦手でもあったりして、ずっと立ちっぱなしでさすがに疲れ、次の渋さも大事だしと後ろいって休み気味で聞くことにした。それでもやっぱり楽しく楽しむ雰囲気ががっつり立ちあがっていてそれにのっかるのが良いのだと思った。またろぼ野音で見れるのが楽しみだ。
次の渋さまではDJの時間だったがなかなかよかった。vjみたいなのも流れてて、体力温存しながらけっこう楽しかった。あんまりふだんdjとかよくわかってない身には、そんなふうに楽しませてくれる方だとたいへん嬉しい。そして次は10年以上ぶりに見る渋さ知らズ!ちょっと前の方いってみた。なんかでも、メンバーの方々がずらっといる、それだけで、なんだこのピットイン臭みたいなのはと感じてしまった。渋さをピットインで見たりなんてしてないのに、なんか佇まいからの臭いが完全にピットイン的だと思ったのだ。そうゆうもんだろうと思った。そして不破さんがタバコ吸いながら喋りだしたらここは大衆酒場かみたいな臭いがこんどは立ちあがってきた。お客さんのノリも完全に今までの他のバンドと違わないか?っていうような太くて湿ったような黴くさいような雰囲気だ。でもなんか私は俄然こっちの人間だったんじゃないのかっていうような安心感が動いた。そうだよこれだよこれがこれでしょー!というような気になる。どれも気取っていたのか私。気取るというか、どこかツンとして真剣すぎたりなんやかんや隠しているのだ。でもここでは全部とっぱらわれるのだ。そうだ。
だってはじまったらもう自分はこうゆう音楽でこそ真っ裸になれるんだと直感したもの。ああ全部が解放されてしまうと思う。普段なら自分にセーブかかる機能のロックが全部解除され無効化する。そうかそうかそうなのかと思う。うっひゃーたのしいーと踊るはしゃぐ踊るはしゃぐはしゃぐ。全部すてたくなる。解放だな。
聞いてて、音をこんだけ気持ちよく聞けるのはこの間に自分が聞いてきた音楽の経過があるからかなと思った。芳垣さんや大友さん、山本さんまわりとかなり狭い範囲でだけど、決まりきっていない即興や色んな人がいりまじる音楽を少しずつ体験してきたその積み重なりが自分の体内に蓄積されて染みこんでいて、それですぐの直感のようなところで自分の好きな音だとわかる、踊れると判断をつけられるようになってきているのかなと思う。それらはちょうど4月のはじめから、というか今年に入ってからちょこちょこ思いめぐらしてきていたことと繋がることのようでもある。
渋さの音が楽しくてしょうがない自分に実は自分でとても驚いてもいたんだ。