9月29日は山本精一NITEを渋谷WWW Xで見た。


9月にオープンしたばかりだけどこれの前にXには行っていたので2回目。椅子席ありとのことで、腰痛持ちにはありがたやありがたや。整理番号は一桁だったものの、3種?同時入場で実質10番以降だったため、最前列はとれず(とれたけどあきらかにはじになってしまうのでやめた)しかし山本さんの一番見えそうな2列目で手をうつ。正直、ステージ見た時は山本さんがどこに座るのかよくわからなかったのだけど、下手手前に大友さんのギターと思わしきものがあり、横にベース、ドラム、ヴォーカルマイク2本立っていたりしたのを見て、上手に山本さんくるのかなと思って下手にいった。この選択は功を奏した!最高の場所取り!よくやったと自分をほめたい。
開場開演までは30分で会場内には丸椅子がゆとりある配置でずらっと置かれ会場は妙に粛々としていて渋谷のどまんなかでこれからライブが始まるよなんていう気配が薄くむしろ千駄木の延長のような空気で満たされていたのがはじまり。
内容は事前アナウンスのあったとおり進む。しかしまずソロはいったいどんな方向でくるのかな?と思っていた。8月のソロを行けなかったのでそことの比較そこからの比較、つづきなのか違うのかみたいなことなど、そこらへん考察したかったものだ。千駄木でやってるソロとはまたどんなふうに違うのか繋がっているのかが気になっていたんだただ。しかしなんていうかやっぱりそんなこちらの想像範囲ははるかかなたに置いていったところに山本さんはいつだっているみたい。

暗転したなか山本さん登場。このときステージ上も一切照明とかつかない、なんていうかそれは普通であたりまえのようなくらい平然と山本さんはそうするしこちらも受け入れられるけど、たいがいの場合ステージというのは光をあびる場所であびる人がでてくるものだから実は異質だ。でも、そんなんぜんぶはじめからないんだと、そんなんまやかしなんだ騙されてるんだ麻痺してるんだみたいなそんな気持ちにさせられる。べつにそんな意図さえないだろうに、山本さんの広げるふろしきに一歩踏み入れてしまうとどちらがまっとうか、さあどちらと、問われ、そのうち馴染んでることにきづく。山本さんに魅いってしまうとぬけだせない沼があると思う。やばいんだ。

山本さんはMacBookをひらく、ステージスクリーンには映像が流れる、どうやら古い邦画洋画まぜこぜのサンプリング映像に恐らくMacBookにいれてるサンプリング音を色々鳴らしながらギターを足していく感じだったのかと。映像は京都の映像作家のなんとかさんって方につくってもらったらしい。名前わすれた。まさかこうくるとはな。こうゆうソロでの映像とのコラボっていうのははじめてなのかな?これはこうゆう場でこそやれる、映えるってもんなんだろう。千駄木じゃやらないことだ。
もうなんの説明も前触れもなくはじまって、あんぐりしながら見て聞いて、ほええええと目と耳とで追いかける。ぐるぐるぐるぐる。映像に詳しい人なら映像のネタ元がわかったりしてより面白いんだろう。それのない自分としては大学の時に同じゼミの男の子たちが映像サンプリングやってたから完全にそれとの通じたものを思い、思い出し、どうゆう感覚サンプリングってやるのかなとか思いながら、山本さんを見たりする。
それにしても1人でこれらをやってのけるっていうのは特殊で珍しい形態の気がする。映像は特に洋画の奇抜感ある素材や例えば1つの同じ運動を様々な映画からもってきてみたいな感じがあるんだけど決してそれらにいわゆるあわせた音楽ではないというところが山本さんの音楽で他の表現と一緒にやることの表現だなあと。同期させるみたいな考えはないのかあるのか、見てたらわかりやすくそれはない。そんなんは編集作業でできることであって、ライブでやることじゃないって話だろうが、ふつう音楽と映像っていったら繋がりや関係性が示されるものを想定してしまうがそうじゃない。コラボといったらそれで終わりかもしれない。でも全体ひとつとしてのなにか、昔の無声映画にその場で音楽やらつけてみんなで見てるような、そうゆうエンターテイメントの一種で、それが設備的には新しいもお、ところのはずなのに、どこか昔のテント小屋みたいなところで見てはいけないものをこっそりみんなで見ているような背徳感もほんのりしている、そうゆう前後左右のあらゆるミックス感みたいなものは、アートの世界にもありそうでないもの、音楽の場としてたちあげるこうゆう山本さんのうねる波にみんな乗りこんでしまったはじまり。書いててなんもうまく伝わっていかない文章しか書いてない気がするけどしょうがない。

次は第2部、ゲストに大友さんをまねき、デュオ。大友さん近くてよくみえる。大友さんはインプロのときは高柳さんのギブソンを音叉でっていうのが基本なんだよねってことに最近ようやく気付く。まあわたしはSGの方が好きなんだけれど、まあSGもうしろにおいてあるから。さてここもどんなふうになるのかなと思っていたが、二人ともそれなりにステージ上で距離があるなか座っているが、まあほんとぜんぜん目を向け合うようなことはないよねってことだ。ギターがここの空間で鳴っている。それを耳で、体でうけて、それで自分もまた音を出す、そこで絡みあうなにかなのかなあ。どんな風に聞こえて、見えているのかなあ。いかんせん日が経ちすぎていて詳細を覚えていないが、後半にぐっと関係性が変わるような感じがあってそこがおもしろかったような。
大友さんがきれいなギターの音を出すっていう認識は前からある。それは山本さんもそうだ。そう二人ともとにかくきれいな音そのものを出す。きれいな音じゃなくて、出る音が絶対的にきれいなのだということ。どんなに足しても汚してもノイズをひきずりこんだって、この人たちのアンプから出力されて出る音はゴミもちりも埃もついていないそれそのものの音というか、ちりやほこりがあるならばそれはそれを含んだピンとした音できれいで、なんというか、ノイズにも他のノイズが混じっていないっていうか、どうゆうことかしらない、よっぽど繊細に気を使っているのか(それはあるだろうがそこまで詰められてるとは思えない)、経験でそのようになるのか、機材や音響設備がいいにすぎないのか、たまたまか、わからないけど、でもいつも音が音としてこんなのは他で聞かないような音のきれいさを聞くことができる。そんなギターデュオ。終わると、次はリラックスして聞いてください的なことを山本さんが言っていた。
ここでしばしの休憩。客席フロアにはたぶん丸椅子ずらっと並んでたからほとんどの人が座って見れていたのではないかな。トイレいったら客層が男性の方が断然多いせいか休憩のあいだ男子トイレに長蛇の列になっててでも進むのはすごく早くてでも男性がひたすら次から次へと列に並んでいるのでいつまでも終わらない繰り返しっていう図がなんだかおもしろかった。自分でもなんでおもしろいのかよくわからないんだけれど。女子トイレは個室が5、6コありそうでこのキャパにしては多めだ。

第3部は山本さん、大友さんに達久さん、須藤さん、坂口さんが加わる。須藤さん坂口さんははじめてだが、お二人とも石橋さんとやってたり達久さんともやってるわけだ。山本さんは以前にでも一緒にやられてるんだろうか。このメンバーでがっつりやってってもいいんじゃないかってくらい、すごくすごくよかったと思うんだけど。大友さんは無理にしてもこのメンバーでうたものやってってくれたらいいのになんて思っちゃうような夢の宴がこのあとつづくことになろうとは。まずたしか一曲ふわーっとした感じでやって(インプロってわけでもなかったのかどうか、ほんともうふわーってしたかんじとして記憶に残っている

全員が同時に違う歌を歌っている。それはたとえば子どもたちにはあるかもしれない。保育園で子どもたちがみんなそれぞれバラバラに好きな歌をうたったり、喋ったり、大声だしたり、なにか叩いて音を出したり、みなそれぞれが自分のやることに熱中して、そのうち誰かと誰かが一緒になってまざりあって遊んだりする、っていうようなこと。それをこのでかい体した大人たち、人間たちがステージ上でやっているというのはなにか異様で、おお、おおお、、、という感じがあった。これはなんというのか、形をもたない、いやそれぞれにはもっている、みんなで歌い演奏している、なにかである感じ、平行世界?坂口さんの音がいい、坂口さんのたたずまいや雰囲気はなんかめちゃくちゃ気になる。かわいい音出すなあ。

柴田さんと見汐さんが一度去る。そしてラプソディア、達久さんのドラムがほんとうによく似合うっていうか、達久さんになることでがらっと曲が変わるしそれがすごく楽しい。達久さんのドラムは音の粒が太い。その粒ぞろいの音がびしばしっととび散り落ち、また集まるなにか微生物たちの動きのようだ。バンドでやるラプソディア、うおおおおおお、すげえいいよねって思う。そしてもしや次はの音が聞こえ、羅針盤のソングライン、うわ、うわ、まじかー!と大興奮。最近もやったような話をどっかで見てると思うんだけど、私はそのときに行けておらず、しかしまあこのメンバーでやるなら羅針盤やるよねできるよね、そのなかでもこの曲選ぶのか、すごいな、と思う。すごくいい曲、そのいい曲が目の前でぐるぐるぐるぐる世界をかきまぜていくように演奏される。それを目撃してしまった、しまった感。

柴田さんと山本さんと達久さん須藤さんの4人でだったかな?りすがくる、という歌だというのがりすがきた〜みたいな歌いはじまりだったと思う。なんともいえない身近な人の集まりででも歌うみたいに歌う山本さんと柴田さんならではの歌唱。そしてなぜか♪ダイエット してんのに 太ってんじゃねえよ〜という歌詞をくりかえしておわるという、よくこれを歌として成立させているもんだと驚きと感心、これはこれですごいもんをみたの空気につつまれてなごやかな雰囲気。大友さんがそのあと再度でてきたときにもダイエット〜って歌っていたが、とにかくいびつすぎて頭に残される。

つづいて夢の半周、大友さん加わる。これは山本さんソロ作でphewさんと歌っているものしか聞いたことがないけど、もとはNOVO TONOの曲ってことだ。なんかよく覚えていないけどとにかくこのメンバーで一曲を歌うというつながり、テンション、ゆるやかなたれ下がるロープ、そんな光景みたいだ。不穏ポップのふしぎなゆらぎ。次はロボット、ここで見汐さん加わる。この曲とか、あれーこれなんていう曲名だったっけと思いながら忘れないように歌詞のひと単語とかで覚えておこうとする。そのときどこかのタイミングで覚えておく単語を選んでるわけで、その選んだ単語がまさに曲名とリンクしたときは嬉しい気分になる。まあ、曲名が歌詞にあればの話だし、曲名になるだけの単語はつまりわかりやすいからどうってことない話のはずなんだけど。まあなんかどうでもいい話すぎる。

柴田さんがはけて、あれままままさか次の曲はまさかと思ったらまさしくYo La TengoMoby Octopadが流れてきて衝撃的。うおおおおお、まじですか、、。たしか去年の年末のカバーライブでこれをやっていたと聞いていたが、まさか自分もそれを聞ける日があるなんて、て、て。すごい、すごい、すごい。完璧だったなあ。ベースラインの動きはまるで運指練習のようだ。見汐さんの歌もとてもよくあっている。なんか楽しそう。楽しそうなおとなの遊びのよう。

たしかこのあと見汐さんもさらっとはけて、大友さんのアルバムで山本さんが参加しているという曲。2人のギターが水族館でそらを泳ぐイルカのようにゆうゆうと泳いでいく。多分これはこのさきもそうそう聞けることないんだろう。なんだかすごく青い色のする曲だなと感じていた。この人たちの演奏でそんなふうにことさら色を感じることなんてあまりないと思うからちょっとふしぎなんだけど、でも、それくらいのことはやろうとしたらいくらでもできてしまうんだろう、普段はそれらは出してない使ってないんだろう。

そして、羅針盤の永遠のうた。うわあ、うわあ、うわわわああああ、という驚きの洪水にあう。まあ会場にいたお客さんみんなそんな感じだったのかな。わかんないけど。驚きの興奮すぎてうわつく。しかし曲はするすると目の前をながれていく。ひもをたどるように。けれど意外と生で聞くとなんかちょっとのりにくい感じがした。そのいびつ感は自分のうわずりのせいなのか。心臓のリズムが目の前でなっているみたいなそんな緊張感さえみた。自分が聞いてて緊張するってなんだそれは。もう、なんかすごいもんを今日は見て聞いてしまっているんだ、それに完全に倒されてしまいそうでそれを背骨でなんとか支えている。

アンコールで、山本さんのCrown of Fuzzy GrooveよりMantral、これってたしか前回の山本ナイトのときにもやってるんだろう。ああそうかこれでしめるのかという心がまえと、そこからつづくつづくいつまでも。ROVOでもときどきあるけど、それはいったいどこまでどこまで繰り返されるんだろう、これははたして終わるのか、終わらないのかと期待と不安のいりまじった気持ちになり、それがその時間のまま継続されると、もうまばゆい煌めきのなか拘束されて身動きがとれなくなってしまうようなことになる。声が出ない、息をしてないみたいな、それって金縛りではないか。ああすごいすごい。あのような視界はこの世に二度とない。パノラマのように魚眼レンズのようにまんぱいに、めいいっぱいに広がった音景色。うしろの方で聞いてたらまた違ったかんじの空間の鳴りを楽しめるのかもしれない。前でもぜんぜん悪くないけどうしろもきっと楽しいんだろうなと想像させる。でもこのステージの近い視覚をも一緒に体験できたことは私のからだにずしりと落とされた。投げつけられた。すごいもんを自分の体でなんとか受けとめた。背骨がなんとか支える役割を果たしていた。世の中にはこんなもんがあるんだ、そんなものを受けとるのはぜいたくっていうか、でもぜいたくって言葉じゃないんだよなあ。人やものごとの可能性というか、拡張しうるものをいつも見せてもらっていて、それをどうしたらいいんだろうみたいな気持ちにもなる。このような人たちはいったいどんな景色を見ているのかと思うけど、少なからず同じ時代の同じ国で生きているわけだ。自分はもっともっと体のすみから奥まで研ぎすまして、ずたぼろにしてすべて捨ててもなお聞くことに自分はできていれるだろうか。よくわからない話になってきた。時間が経ってしまったのでうまく書けない。だからだめなんだやっぱりはやい内に書かないと。でも、言葉には結局なんかならないんだ。音楽を奏でる人たちがいて、それが鳴ってる空間があって、音楽にに包まれている私たちがいて、それで世界はできあがった。その時間だけ特別だ。それがライブってもんなんだろう。そのこと自体の密やかさや親密さ、断絶さ、そうゆうものをもまたこちらに見せてくれる、それは貴重なこと。もしかしてこれは今年見るなかのナンバーワンかもしれないと頭によぎった。そんなことを早々に考えるのは趣味が悪いような気もした。でもそう思ってしまう、なにかに例えるならそうゆうことみたいなのがあって、でも、同じようなこと言ってる人がちらほらいてすこし安心した。おどろき万華鏡ライブなのだった。終わったら22時半、びっくり。時間概念ぶっとんでいた。


以下twitterまとめ。

山本精一NITE@WWW Xを見た。
これまでを死んでこれまでが生き返るような全部が死んで全部が立ちあがるような身体ぼろぼろでありながら身体はつらつ、とにかくあらゆる作用のエラーのような状況、すばらしい。
わたし山本さんを好きでよかった!

まさかまさかの選曲、すごすぎてゆめみたい。山本さんの幅広さを少しずつひとつずつ追いかけてきてよかった。山本さんはやっぱり非凡人だ。山本さんは一人でなんでもやれすぎだと思うけどそれが今日みたいな形で、色んな人と交わって発表されることの素晴らしさ

うたものはソングライン、永遠のうた、夢の半周、ロボット、ラプソディア、大友さんのCDに山本さん参加の曲などをやったような。あと柴田さんに山本さんが作ったというりすがきたという歌はダイエットしてんのに太ってんじゃねえとかいう歌詞を最後のせててすごいバランスの歌

大友さんはデュオのときは高柳さんギターであとはずっとSG、やはり大友さんの弾くSGがめちゃくちゃ好きで、エマージェンシーの時もそうだけど繊細で丁寧な音の連続はすーごいすーごいきれいで女性の曲線のよう。
山本さんも大友さんもどんなに足しても汚しても実にきれいなギターの音を出す

見汐さんとはヨラテンゴmoby octpadやって、びっくり!去年カバーライブでやったとは知っていたけどえええまさか今日聞けるなんて!すすごい!
後半の狂気沙汰みたいな展開のところが見れて聞けてすごい、すごい。をあうあお。大友さんのギター大活躍しまくる

なにからなにまですごいなか、アンコールではmantral、これもまさかこのメンバーで見れるなんてという今夜だけしかないもの。今鳴らすだけのもの。それが儚くてシビア。
達久さんのドラムを2日連続で見れたのもすごくすごくよかった。音の粒が太くてラプソディアなんかほんとお似合いなんだー

自分の中では大友さんのファンではないんだけど芳垣さんが一緒によくやるからそれで見に行くみたいな流れで主に大友さんは見てきてて、しかし今日は大友さんの真摯なギタリストとしての姿をたっぷりと見れて、山本さんのギターと一緒に鳴ってるのがほんと最高で、この2人それぞれの凄みを感じた

今日はこのまま夜を延長したい

再現というか、この空間の内が壁をなくして外と通じるみたいなかんじ、センター街のあの360度全方位から上から下から前から後ろからまざりあって球体のように音に覆われてる空間みたいな、そことセンター街から一本はなれたところで通じるみたいでとてもおもしろかった。よくやるなあ

今日の出演者のみなさんほんとすばらしいな、みんなすごいな、音楽はひろいひろい。みんな真摯だ。みんな真摯で山本さん大友さん柴田さん見汐さんがそれぞれ別々の歌を同時に歌う、ギターも3人弾いてるし達久さん等も演奏してる、すごい同時歌うたい。でもまるで渋谷の街中の再現みたいでもあった

本編最後に山本さんがこれで最後ですって言ったのにお客さんがほぼ無反応でそしたらちょっとキレ気味な表現で「なんですか、もうちょっと反応ないんですか?ぼくのこと嫌いなんですか?嫌われてるのは知ってますけど。その質がなにか知りたい」とかなんとか言っていた。でも最後には楽しそう

ぜんぜん今が24時の感じがしなくて今はこれから夜の7時って感じ