10月16日はdowny tour『無題』@WWW Xを見た。6枚目の無題のレコ発ということでもっとでかいハコでもよさそうなもんなのにと思っていたらソールドアウト。希望としてはリキッドで見たいけどなあ、ちょっときついのかなあ。 でもやっぱリキッドで見たいけどなと思わされるとてもとてもよかったライブ。ワンマンっていうのはやっぱり特別だ。見る側にとってそうであるように、やる側にとってもきっとそうなんだろう、だろうなっていうとこまで想像およぶようになったのは自分が年をとったからなのかな。
番号は100番台後半、しかし電車が途中で遅れてでもまあ平気かーと思ってたら時間通りいれはじめていたらしい。Xにくるのは3回目だけど、客を入れる入り口が2箇所ある。たぶんソールドアウトとかのときはせまい階段使って4階まで並ばせて、山本さんのときは広い階段のほうで2階まで並ばせる感じであった。4階にコインロッカーあるし、山本さんのときはイレギュラーかも。4階まで並ばせるときにあとから来た早い番号の人が前へ行けるよう隙間作らせてはいるけど4階でしか番号呼び出しはしてないからその近くまでいかないと今が何番までいれてるのかはわからない。私が行ったときは300番台呼びだったけどとりあえずそこに並び、スタッフさんに前行ってもいいですよと言われたけどなんかめんどいのでそのまま階段、うっすら180番までの方ーと上から聞こえておおもう入れるとわかって列をぬけていった。downyのライブはとりあえず前の方いけるなら前へいく。今回は前から5列目くらい、下手より。まっちょさんと裕さんがよく見え、ロビンさんもまあまあ見えて秋山さんはあまり見えない。しかし先月きたときは着席でみたから似たような場所にいるはずなのに立っているとまた全然違う風景のようだった。目線が違うだけでこんなに違う。
18時半を5分ほどすぎて暗転してSEっぽい、しかしSEにしてはひどく静かで妖しく霧のような音楽がしばらく流れていた。みんなしんとしてただ待った。待つ側としての虚ろなただよい。みんな待っているんだなあと思った。そしてようやくという感じにロビンさんがでてきてほっとした。メンバーみんな黒いTシャツ、でもみんなそれぞれ、その感じがdownyだなあと思う。自然体なのに独特の空気がそこで混ざりあって流れている。裕さんがじゃらーっとギターを鳴らしたのを聞いて、ああ今日はおわったときにはきっと良い耳鳴りにおおわれていることだろうと直感した。
大阪と名古屋のセットリストでも、それに今年のライブのセットリストでも1曲目には新譜1曲目の凍る花をやっていたからきっとそれではじまるだろうと期待していた。そうしたらなんと一曲目は酩酊フリーク。わっと驚いた。わわわっ!行き道の電車の中で、ちょうど、1stの1曲目である酩酊フリークを聞いた。ロビンさんの歌が若いなあと思って、ロビンさんはインタビューで繰り返し自分の歌が好きじゃなくてという話をしていて、でも活動再開後ようやくもっと歌ってもいいのかなと思えるようになってという話をしていて、それがすごくいいなあと思って、興味深くて、人はそんな風に変わったり変われたりするんだよなあということ、それがストレートな表現として、歌として出てくるというのは、ロビンさんの歌がみんな好きだと思うから、私も好きだから、うれしいなあと思っていて、そんな眼差しで聞いていた曲だから、なにより、1stの1曲目でこんな曲もってくるなんてすごいよなあと思っていた。そんなようにどっぷり思っていただけにまさか酩酊フリークがはじまっておどろいたおどろいた。がぜん、血気盛んになった。
つづくは葵、これは2ndの1曲目だ。私はたぶんこれでdownyを知った。それで2ndを買ったし、やっぱそうゆうとこで葵はすごく好きっていう気持ちが動いちゃう。ずるる、と地面が横滑りして断裂を眼にしてしまうようなのだ。はじまりから音がどんがらがっしゃーんと平然と落ちてくる、それですべてが洗われる。幕がおりるように始まる。すごくすごくいい。気持ちよくて真後ろに倒れてしまいそうだと思う。
そして凍る花、檸檬と新譜から。凍る花はたしか今年のはじめの熊谷で聞いたのが最初だったはず。あのライブはすごく好きだった。だからその時の印象の強さがこの曲。季節と場所がら、冷たいなかで開く熱いもののようなイメージだった。音がそのまんまそうなんだもん。聞けば聞くほどつややかになって透きとおって鈍くなってまぶしくて翳っていくような手ざわり。檸檬ではまっちょさんがウッドベースを弾く。かーっこいいー!まっちょさんめっちゃかっこいい。4人それぞれの動きがそこかしこに動きまわる。檸檬は生で聞くとより一層難しい、どうやって4人でこれをあわせて歌が入っているのかまったくわからない、ただただ音のぬれるゆらぎに体をもたれかけさせるしかない。VJのはじまりがよかったな。ロビンさんの歌が素敵だ。とりつかれてしまいそうだ。ライブでもっとやっていったらまた変わっていくかな。でもウッドベース毎回は大変なのかな。
次に象牙の塔、象徴的ななにかを感じる曲。どこか遠くで呼ばれてそれに誘われてしまうイメージ。眼には見えないもので呼び寄せられてしまうときみたいだと思う。においのある、妖艶さを感じる。やっぱり私は2ndが色濃く好きなところがある。骨がくだけていくように気持ちよくなる。
時雨前、黒と5thからの定番がつづく。ここのVJが好き。この曲も初っぱなから音があふれるdownyらしさを感じるし、そうゆう曲の息を吐くす時間すらない、見失ってしまったあと、時間が前後してしまったかのような錯覚、めまいがするというか、したようなという感覚の錯覚に陥るようだ。そして黒へとつづく流れは美しい。そしてそこで見てしまった。裕さんとまっちょさんが目をあわせて、こくりと頷いて、一緒のタイミングで音を出すというところを。美しい横顔の男がふたり、そんなふうにしかりと見つめあって全てを合意するようにのみこんだところを見てしまって、それがやばいほどに美しくて、やばいやばいスゴイもんをみてしまった、、、と思って、驚愕した。あれはほんとうにすごかった。見てしまってすごいすごいという興奮と同時に殺傷力の高さをも感じずにいられない。美しいものは鋭い。人はあのように美しくたりえるのか。
春と修羅はやっぱりVJふくめて好きだなあ。ほのかな暖かみのある感じがめずらしい気がするんだけど、それがやわらかでふくよかなロビンさんの鍵盤の音とリンクする。次に新譜から色彩は夜に降る。はじまってみると意外と地味な感じがした。ライブで回数かさねたらもっと変わっていくだろう。しかし新譜からの曲は半分くらいしかやらなかったかな?前半曲だけだ。後半曲はこのあとやっていくんだろうか。それはまた楽しみにしたい。
さてもうこのへんからの曲順はうろ覚えの世界、でも、まだこのへんは覚えていたつもりだが。アナーキーダンス、この曲も好きだ。ぜんぶすきじゃん、て話になりかねないが。これのVJの色づかいや変形していく映像の影響もあわせてだと思うけどそうかこの曲はフランシス・ベーコンみたいだなと思った。うんうんそうだ、すごくしっくりぴったりくる。ぐねっとねじれねじれて内と外が常に入れかわっていくような運動体。内と外が小爆発を繰り返して常に互いを内包していってまうような。それは小さなかたまりなのだ。
つづくも3rdから形而上学、うわーかっこいいーこの流れはかっこいいなー。クールだな!ひんやりした地下水路をぬめっとした触手で進むかんじ、なぜこのような感触の音楽を作り出せるんだろうかと思うと謎だ。downyの音楽はこの世界の隠れている、でもたしかにある感触を差し出してくるようなものが多い気がしてくる。視線の移動が真上から真下まで、あらゆるとこに潜りこんでそれをサーチライトで照らしてくるような。
次は4thからUnderground、たしかたしかこの曲順だったと思う。ここらへんからの後半でどんどんここまでためられた熱が徐々にとび散り放射されていく感じがとても熱くて焼けていくようだった。まあそれでもクールはくずれないのがdownyだろうが。この曲のひんやりした空気が余計に熱を帯びさせてくるんだろう。血管に血が入っていくように。
そして聞きたかった新譜からの海の静寂、この曲はすごくすきだなー。ロビンさんの歌がとても色っぽい。すごく素敵だと思っていたらこれはめずらしく一発どりで録ったのだという。そうか、だからなのか、と知ったかぶるように思ってしまうけどでもほんとうに、自分がとてもこころ惹かれたものにちゃんとその裏づけというか理由というか背景があって、その肉づきがこちらに伝わってきたんだということはただただ嬉しくて、聞く側としての喜びだと思う。もっともっとずっと聞いていたいような歌、曲。伝え聞く話のようでもある。ロビンさんがエモーショナルにこめて歌っているのを見て胸あつくなった。downyの歌はロビンさんにしか歌えない、その孤独さが私は好きだ。
そして左の種、お客さんも静かに熱があがってくるあがらないわけにいかない。なぜか秋山さんが手拍子をもとめてロビンさんがそれに照れながらそれにのってみたいなくだりの意味不明さはこんなにクールなのに楽しそうでもあるというバランス。バンドにとっての初期の曲というのは年数たてばたつほど磨かれてかっこよっくなっていく不思議だ。永遠性を獲得できるのは初期曲たちの特権だろう。
つづくΔ(デルタ)、私のなかのなにかが一番燃える曲、うれしいー!と胸高まりあがるのを抑えられないと思ったらまっちょさんが珍しく正面を向いてベースを弾いた!いつもステージに対して横向きなことが多くあまり正面むかないひかえめさんイメージだがこれがまたむちゃくちゃかっこよかった。汗ほとばしる感じがまたかっこよすぎて、そしてちょっと楽しそうであるはにかみ感もでていて、おおそうなのか?!と思いながらこっちもテンションあがる。さらに或る夜につづくという疾走。たしか、つづいたと思うんだけどこのへんはけっこう記憶曖昧、なぜならもはや我を忘れかけはじめているから。しかしdownyはどんだけ走ってもマイペースを崩さないわけだ。その安定して切っていく風をすぐそばで感じられるような気持ちよさ。4人のばらばらの固体がひとつの方向に向かうという美しさ。頑強で美しいその音の散らばりと姿にこころ打たれてしまう。
曦ヲ見ヨ!、弌とつづくともう私はどうしていいのかわからないようなうろたえの気持ちと、興奮の高まりでわけがわからなくなってくるような気持ちと、素直な喜びの発露でどうにでもなれるような気持ちなどが混ざりあっている気がする。嬉しくて、楽しくて、ふるえそう。曦ヲ見ヨをこんだけ後半で聞くとまたイメージが違うというのが新鮮だったしおもしろかった。曲はこんな風に表情を変えるんだなあ。弌までいくとすべてを建てすべてを壊すような作業だと思える。
そしてロビンさんがようやく喋る。ここまで一切MCもなしで演奏だけをしてきたんだと思うと、それはなんかすごいんだけど、でもそんなふうに進めるのがdownyなんだろうなあ。そんな舵取り。海を泳ぐ船のようなんだろう。次で最後の曲というので、ああきっとあの曲がはじまるなあと思って猿の手柄。なにを聞いていたかよく覚えてない。あまり聞いていなかったのかもしれない。なんだか今日はあっという間で、1曲ごとにはじまっておわることが感じられた、そのことを反芻していたような、ような。そして安心へ。完璧だなあ。すべて奪われてもいいだろう。人が集まって音を奏でることの魅力がぎゅっとしてるなあ。ぎゅっとしたボールのようなのだなあ。ひどい速さで飛んでいく。
アンコールはもうないでしょうと思っていたけど拍手やまず、ロビンさんが出てきてもう20曲やったからいいでしょ!と笑顔でかえす。またやります。と言っていた。うん、ぜひやってください、そのときはまた来るのだ。そのときまた何が見れるか、それが楽しみだ。
downyの音楽は複雑で威嚇的な感じを圧倒的にまといながらもでも中身はとてもやわらかなものでできていると感じられる。なかにあるやわらかに溶ける熱が表面を溶解しているその運動が感じられるんだろう。そんな感じがする。ああ、楽しかったー。たのしいよー。なんか楽しいライブだった。ツアーということの流れも大きかっただろう。メンバー間での親密さみたいなものがぐっと感じられた気がした。あとはお客さんみんなもっと踊ればいいのになあー。
しかしメンバーの名前を呼ぶのはみんな男の人ばかりだし、なんか、昔のモーサムはそういえばこんな感じだったかなあというのと、でも、それはそれでこれはこれ、バンドそれぞれだなあということも思う。ずっと続けてるバンド、休止や解散をはさんでのバンド、いろんなあり方があるということ。時間を経るということのもつ意味は大きすぎるんだろうか。時間って、具体的にはなにと言えるんだろうか、むずかしい。
セットリスト(推測ふくむ)
酩酊フリーク
葵
凍る花
檸檬
象牙の塔
時雨前
黒
春と修羅
色彩は夜に降る
アナーキーダンス
形而上学
Underground
海の静寂
左の種
Δ
或る夜
曦ヲ見ヨ!
弌
猿の手柄
安心