11/6MO'SOME TONEBENDER scrap & destroy '97~'17 vol.0@新宿LOFTを見た
ロフトに向かう電車の中でDAWN ROCKを聞いていた。私が初めて買ったモーサムはHELLOだったんじゃないかと思う。たぶんそれは発売当時。そのあと中古で買ったのがDAWN ROCK。なんかその手にとったときの感触みたいなのが、今でも記憶にあるんだよなあ。今聞いてもななましい音源だなあと思う。でもライブを見に行くようになるとモーサムは音源より断然ライブがすごいということに気づいてしまう。そこには別物の世界が。それでも、このDAWN ROCKは自分にとって色あせない酸味とかびっぽさのまじったような、さびがついたような一枚なのだと思う。

タイトルから察するに、ざばーっと19年ぶんの曲をやるんだろうか?と思った。でもそれって相当大変だし、自然と昔の曲はほんの少しになってしまうわけで、それって普通の最近のライブとあまり代わり映えしなくなるのではとも考えられた。それでも昔の曲をやる、それだけで嬉しいと思っていた。そうしたらそこになんとイサムさんがドラムを叩く、オリジナルメンバー3人でライブをするとのツイートが出た。まさか、思っていたより早くにそんな日が来るなんて。いつかはあるだろうと思っていたのだ。いつかその日がくるまで、それまで気長に見続けていようと思っていた。でもそれがするっとやってくる。そしてみんな見にくる。これはこれはこれはいったいはたしてこれはどうなる…と胸に秘めたものを抱えつつ、イサムさんのドラム、3人の演奏が純粋に楽しみでわくわくした。シンプルだ。

開場時間をすぎてから中に入ると思ったより人がいる。なんかロフトってなかなか他に似たつくりのとこもないし、独特のそれでいてほっとするような変わらない懐かしさがいつもある。そこでモーサム。なんかみんなわくわくしてそうな雰囲気がすでにフロアにむんむんしているなあとおもう。とりあえず奥の方に。はじまる直前でkさん発見。さらにbさんとrまでいた。うわあー、環境がすでにじゅうぶん私の見た00年代前半として整ったみたい。できすぎだ。

3人が出てきて、3人しかいない。想像していたけど、改めて3人が3人の位置に立つことにふるえる気持ちになった。3人が立つ空気。少し、緊張した、イサムさんはさらさらヘア。なんとFlowerではじまる。ちょっと信じがたい気持ち。んなベタな!っていう気持ちもあれば、まるでCDを聞いているような気さえする、つまりやっぱり信じがたい。ほんとにほんとにイサムさんが叩いてるの?3人でやってるの?なんかぞわぞわほんとかなの気持ち。こんな落ち着かなさというのもへんな感じ。ひとり、ぜんぜん知らない場所に放り込まれたような、ここはどこときょろきょろ周りを見回すような自分。ここはどこ。

でも、3人はしれっと出てきてしれっとやった。こんなにしれっとやれたのは、モーサムが解散も活動休止もせずずっと続けてきたバンドだからなんだろうと思う。偶然にも5日前にはシロップを、7日前にはdownyを見ていた。そこに違いはある。ももがライブ後にツイートしていた、モーサムには感傷も感慨もないというのは、見ている側としてもその通りだと思った。それができるのはモーサムだからだった。その存在感。圧倒的な経験値がモーサムにはあるということ。それがあの空気だったのではないか。切り離された過去でもなく現在だけでもない、それらまじりあい流れ着いた今、漂着したようなここ。そこはここ。はじまってからいつもずっと続けることを選んできた者は、どちらが上とかはないけど、持てるものは違うのだろうと思う。モーサムはいつのまにか確かにそうなっているんだということがはっきり提示されてしまっているんだと思った。3人で演奏すること、ステージに立つことでそれが極めてシンプルに現されてしまっているんだなあと。それに私はのみこまれた。完全に喰われたような、そんな喰らいを受けたと、あそこで見たことと自分がそこに立っていたことをふりかえると思う。なんてシンプルなんだろう。そんなことばかりがくり返し頭に浮かぶ。そうだなあ、東京に出てくるまでの福岡でつくった曲というしばりのもと演奏された曲の数々はモーサムのシンプルさがたしかにそのまま出ているわけだ、そりゃそうだ。それが今ここで表された。

見ていて、ほんとうに色んなことが思い出された。そして何度も涙が出てくるのだった。ああそうか、そうだ、そうだそうだそうだったっと思うと、忘れていた自分が情けなくて、なんでこんなこと忘れていたんだろうとか、はじめて気づくこともあって、なんで今まで気づかなかったんだろうとも思った。その度にちまちまと涙が押し出されるのだった。あほらしいんだけど、出てしまうもんはしょうがなかった。私はモーサムから数々の影響を受けていた。そんなことも忘れさせちゃうくらいの感傷のなさなの?

01年のHELLOツアー最終日の新宿リキッドルームの生中継を見たときのこと。ブラウン管の四角い箱になぜか妙に近づいて見てしまったせいか粒子の荒さが印象に強い。なんだか驚いた。わ、と思った。記憶がたしかなら多分それが私がはじめてロックンロールを見たといえる日ではなかったか。その前からスペシャとかでいろいろ見たりはしていたはずだけど、その生中継の強さ、今ここ同じ時間にテレビの向こうで繰り広げられていることのリアルが私にとってはじめて意識されたロックだったように思う。テレビで見ることや音源を聞いて感じることとは違った一線。はじまって20分くらいして母が帰ってきて、うわやばいっと焦ってチャンネルを民放にまわした。私は見てはいけないものを見ている、そんなものを親に見られたらやばい!!こんなのを見てるなんて親に知られるのはだめだ!という意識がハッキリと働いたことがまた私の記憶にしっかり刻みこまれている。笑っちゃうけど、本当の話。それが私とモーサムの決定的な衝突。わけのわからない背徳感と珍妙な陶酔感。そのブラウン管越しに見たときのことがこの日ありありと思い出された。わ、、とあっけに取られたように、これは、これは、これは、言葉にならずでも目を奪われる、あの日見ていた私と私は同じ眼をしている。そして今はブラウン管越しじゃなくて、目の前で3人を見ている。

考えてみたら、15の私には九州の福岡なんてところは異国みたいな、3人はそうゆう異国のにおいをもった人たちでもあったわけだと思えた。今までそんなことかんがえたこともなかったけど、そうだ、モーサムは強くそのにおいを放っていたじゃないか。私にはそれがはじめてだった。そんな異国のにおいを見ることも、かぐことも。東京で生まれ育ってさいたまに引っ越して遠いおばあちゃんの家で茨城だなんていう私はあまりにも関東以外の地域のことを知らなかったのだ。そんな自分に今までに知らなかった世界を彼らは運んできた。見せてくれた。教えてくれた。私にとってはそれが興味津々でおもしろみに溢れていたに違いない。そうだ、そうだったじゃないか、そんな人たち見たことなかったんだから。そんなことがほんとうにありありと蘇ってきた。どんどんそんな気づきが焚かれ、もくもくと充満し、それにむせいるような時間だった。

イカスパイダーやちゅうぶらんこのCDを買ったこと。ピクシーズのトリビュート盤を買ったこと。音源買うよりライブに行ったらいいんだと思ったこと。アートワークも自分たちでやるということだってひどく新鮮に映った。3人の顔も格好だって、なんだって私にはどぎまぎするようなぎらつき、誘惑されるような粗野さがあった。そんなふうになにかにどんどんどんどんと惚れていってしまうなんてこと、考えたらそうそうないんだった。そんなん体験させてくれたのは、モーサムだったねえそういえば。

アナベル・リーとジュピターが自分の中ではひときわ印象強かった。なんだろうなあ。燃えるようだった。燃えていってしまう。それを見ている。こちらはただ燃えカスにようやく触れられるくらいで。燃える炎のまわりに人が集うようにモーサムのまわりにいる、感じている、見ている。

生中継ライブを見てからモーサムはこわいという気持ちもあって、ライブ見に行ってみたいけどこわい、とにかく私はびびり体質であったこともあり、時間は流れ私がはじめてモーサムのライブを見たのは02年の夏になる。ライジングサンだった。これに行かなかったら私の人生はきっと違っていて、行かなかったことなんて考えられなくて、これにこのとき行くことを選んだ自分だけはほめられる。その頃はHELLOの曲がすでにメインにあったかもしれない。そのあとは秋にだすLSDの曲をやっていたと思うし。すっかりモーサムのライブに行くようになっていくと、福岡時代の曲を聞きたい欲は当然のように出てくる。当時あったファンサイトのいろんな記事を、昔のライブの記事などを読んだり見たりしてそこから自分のなかでいろんな想像をむくむく膨らませたりしながら、私もそんな場に居合わせたいなあとか、見てみたい聞いてみたい、読んではこんなかなあんなかなと想像してわくわくした、そんな思いを募らせていた、そうだそうだったんだってこともたぶん初めて今回のライブ見ているときに意識的になって思い出された。私が知る前のモーサムのことはそこから影響を沢山受けた気がする。インターネットからの影響をこのころは本当によく受けた。音楽とネットは私には切り離せない関係でもあるとわかる。

まあ時には福岡時代の曲をやることはあったと思うけど1曲とかそんなもんでそうそう聞けるわけではなかった。聞きたいといくら思ってても聞けなかった。そんな曲たちをこんなにずらずらずらとやすやすと聞けてしまうなんて、この2016年に、やっぱり信じがたかった。嘘みたいで、目が乾燥してバチバチと静電気が起こってそれによって放たれている光の錯乱が頭のなかにも目の前にも起こっているみたいだった。それでも、この3人で東京に出てくるまでの福岡にいたころに作った曲をやろうと決めたこと、そんな意志を持ったモーサムのライブに立ち会えてることはすごく嬉しくて、いろいろ思ったりしてるけどでもただむちゃくちゃ嬉しくて、しかも昔一緒にモーサム見てた人たちが今同じにここで見てるんだって思ったらまためちゃくちゃ胸が熱くなってしまうのだった。

この日はももが2.3回喋って、タケさんもちょこっと喋っただけで、最近のライブからは少し距離をおいたような雰囲気だった。それはタケさんが緊張して吐きそうとツイートしていたとおり、昔の曲だけをやるというのはやる側にしても相応のプレッシャーなどがかかってくるはずで、そして3人でやるということは3人にとってどんな感触があったんだろうかな。ももはツイートの通りだろうけど、そこはどんなにおいや色や痛みや快感があるんだろう。改めてそんなことを思わされる。

それにしてもまたこんな風にぐいと舵を切れるモーサムは、すごいんだな。決して3人でやったからやっぱり3人でやるのが最高だってことでもない。単純にそんなことを言い示すライブでもなく、4人のなかの3人で今やるべきライブがこれだった、というようや、やっぱりこれもまた点の一つであり途中の経過の景色であるというような。

過去から現在、そしてその先のまだない未来に対して、モーサムはうねりくねってつながってきたし、つながっていくんだろう。編みこむようにそうやっていつもつくって、こわして、またつくって、こわしてこわして、それでもまたつくる、摩訶不思議な面子が集まったバンドなもんなんだなあ。

タケさんがおふざけしないなんてのは、なんか懐かしいような気がわきあがっちゃったなー。そこはめちゃくちゃきゅーんときたなあー。そこだけは譲れないわあー。

彼らは、私は今どこにいるのか、まるでわからなくなるようだった。戸惑いと喜びと味わったことのないようであるようなヒヤリとした興奮。昔から知っているようででも本当は最初から知らないというのは言い得て妙すぎる。まさにそう、その通りだった。



終わったあと、さてはてどうなれるだろうかと思っていた、まあどうにかなる、きっとなる、なれると運にまかせた、まかせるけどきっと大丈夫じゃないかという願いもこめて、ただただそれは私の欲望だった。私はそれを叶えたかった。だって叶えたかった。こんなチャンスはそう二度とあるものではなかった。モーサムは、いつかイサムさんがドラムを叩く日はくるだろうと思っていた。でも、rさんとkさんがいて、私もいるという自然な状況はそう簡単に起こりえないようなものになっていた。kさんには1ヶ月前くらいにたまたま来月モーサムワンマンがあることを話して、そのとき行こうかなーと言ったのを聞いて、これはと思っていた。そこに今回はモーサム3人でやるとの報せは出来過ぎでもあった。でもそれならばより私の胸は高まっていた。誰にも言わず、言えず、ただひとりで願いを叶えられるかもしれない可能性をひそかに想像していた。

いつかまた、なんていうのは簡単なことじゃない。自分が当事者でないならなおさらだ。私には二人の気持ちもわからないし、知れていない。でもその知らないということは武器にもなりえた。しらないから、自分を優先できたのだと思う。えーいっと投げてしまえばどうにかなるんじゃないか、くらいな。あとから考えるとそりゃまた随分乱暴だったような気がしないでもない気はしてきたわけだけど。

でも私はありえてほしかったのだ。私にとってはかけがえのないもの。あまりにも大きいもの。たとえ失われてしまっていたとしても、どうにかして取り戻すことができないんだろうかと、それは私自身がの話に過ぎないけど、でも私は現在のこの一瞬に拾い直せないのかということを、想像していた。ちゃんと、自分の中にしまい直したかったんだと思う。そこはほんとうにわがままに私自身の思いだった。そこには、どこかで自分だけ知らないところにおいていかれてしまったような寂しさがあった。それはあとから気づいたけど。

高校に行かなくなって、やめたぶん、音楽からたくさんの影響を受けては学んだように、ふたりからもまた私は本当にいろんなものごとを教わり見せてもらった。ふたりはとてつもなく驚きに満ちていたけど、何者でもない17の私をそのまま受け入れてくれたこと、その出会いや付き合いそのものに私は相当な影響や経験を受けていたと思う。あのときふたりに出会っていなかったらなんてことは考えられないくらい、もしふたりに出会っていなかったら私はまたぜんぜん違っていると思うけどそんなことはほんとうにありえないし想像ができない。私に出会ってくれた人、出会いにきてくれた人、そのことはきっとずっと忘れないから。

昔と同じようでいてでも現在はちがう。でも、同じみたいだった。少なくとも3人とも同じ人間だった。その同じ人間がまた一緒に集って、飲んで、食べて、笑っている。またこんな日がくるなんてということにひとり心の中では興奮していた。夢みたいだ!と思っていた。ふたりが私の目の前に一緒にいる、会話してる、そうそうこのテンポ、呼吸感!ねえ誰かこれがわかる?私はわかった。このこれだよこれなの!というほどのものがあった。自分でも驚くほどにそれがあったのですごいと思った。私の知っているものだった確かさに夢心地だった。でも現実だから、これは今日は特別で、今日だけ許されてるんだとも思っていた。それを後押ししてくれたのはモーサムだ。モーサムモーサムだったから、こんな風になれた。モーサムが叶えてくれたようなものなのだ。

いろんな偶然のまいこみは、年月の経過という条件下だからこそ起こりえたのかもしれない。モーサムというバンドも、私たちそれぞれも、それぞれの時間を見て、生きている。けれど会わない時間が長くても、会わなくなったからってそれでもうなかったことに、最初から何もなかったなんてことにならないのは、同じものを見ていた繋がりはしぶとく根深いからなんだろう。誰かと肩をならべて、隣でなにかを一緒に見れるなんて、実はすごく貴重で、またとないことだったりするのだ。きれいな夕日を誰かと一緒に、好きな人と一緒に見れることなんてそうそうなくて、もしそれを共有できたならそれだけで特別な忘れられない時間になるみたいに。それがたとえ一瞬でも、日常的であったとしても。そんなんはこないだ大阪行ってしみじみ感じてきたことだ。出会ってしまった以上、忘れられない人がいる。こんな風にまた出会えたこと、それ自体が力強い物語だなと思える。

10代のころには全然何もわかってなくて、20代になっても全然何も気づけなくて、30近くになってようやくそれまで自分がふりおとし続けてきたものに気がついて、それを今拾いにいってる。間に合うならばそれがたとえみじめで醜くても、私は拾い集めたいんだと思う。



さて、こんなふうに言葉にしてるけど、まるで言葉にならずまだあの日のなかを宙にういているような自分がいる。あれはなんだったんだろう。私は見た。そのことがぐさぐさと私を突き刺してくる。私はそれでうっとり心地良さそうにしているんだからこわい。