ずっと日記を書いたり、ミクシィやってフェイスブックやってツイッターやってインスタやって、考えてみたら私は随分いろんなところに書いているんだなと気づく。そして一応それぞれにそれぞれを書くようにしている。それぞれに役割を、役をあたえ、それを楽しんだりしている。

いま、「狂うひと」という本を読んでいる。去年、新聞の書評を読んでこれはきっとおもしろそうと思った。実際そのあと評判がつづいている。実際むちゃくちゃおもしろい。島尾敏雄、ミホ夫婦について、島尾敏雄の書いた死の棘について、ひたすら事細かに追っていくなかで見えてくるふたり、家族、そのまわりの人、時代、場所、空気。このなかで最も重要な役割をもっている膨大な日記や書き留められた多数のメモ類。島尾敏雄は子供のころから日記を書き続けていて、それがどうにもやめられなかったというのだからすごいけど、でもちょっとわからないでもないかもと思う。まあぜんぜん自分の気持ちは及ばないんだけれど。

おそろしいほどにここでは日記というものの及ぼす力が描かれている。日記すごすぎる。また島尾敏雄は日記を人に、妻のミホに読まれることを前提として、というか読ませようとしていたのではないかという指摘が出てきてすごく驚く。残酷だが、作家としてそのような欲望をもってしまうことを否定することはできない。

でも、さてはて、それってネット上で日記を公開して書いている人もちょっと似通ったことしてるんだよなあと思った。いや実際はぜんぜん違うことだと思う。でも他者の目を意識して書かれているということは同じ?なのか?と思う。てかそしたら私には他者に読まれることを完全に拒否した日記なんてありえるのかどうかわからない気になってきた。残したいという気持ちは残そうとする以上、完全に秘匿するなんてこと可能なんだろうか。

私はいま現在でいえばここと、ツイッター、インスタに加えてスケジュール帳を兼ねた(基本的には記録残しの意味あいがつよい)手書きの簡易日記とがある。あたりまえに体はひとつしかないんだから、1日に体験しうる事柄は1日に同じものしかない、なのにそんな4つも書く場所があってどうするんだってのはあるけれど、そこをそれぞれに書く、それぞれに向かって書くというのがおもしろい。同じ事柄を書くんでも、でてくるもの、言葉は違ってきたりする。それぞれに役割をもたせ、見られる意識もそれぞれの場所で微妙に異なるせいかな。だからインスタでツイッターフェイスブックにも同時投稿する機能があるけれどあれは好きじゃないんだな。なんか自分でやるとあれはすごく違和感がある。そんなことがすこしおもしろい。

そんな狂うひとを読んでいるのもあって、加えて年末頃からあった自分の20代は喪失しかなかったのかどうか、こないだ大阪で大学同期のtくんと飲んだときに私は自分の20代は喪失しかないと言ったら「ほんまにそう思ってる?」としっかり聞き返してきて、それはなんか聞き返してくれたって感じでちょっと嬉しかったのだけど、そのことが少し引っかかっていて確かにその思いは変わらないんだけれどどのように喪失といえるのかが気になっていて、しかし自分の記憶もおぼろ、ならば日記を頼るしかないと思っていたから日記を見返さないとなあと思っていた。ああでもその彼と話していてすごくおもしろいなあと思うのは、違うことも同じこともふたりで向きあってあーだこーだと言いあえることの面白みなんだなあと思った。べつにそれが唯一、ただ良いものと言いたいのでもなく、そのようや面白みを提供してくれる人がいるんだなあということ。そんなんは細かないくつもの要素が合致していかないと実はそうたやすく手に入れられはしないものなのでは、と思うとああおもしろいものだなあと思う。tくんは年齢では私のひとつ上だけど私のことを名字にさんづけで呼ぶ。

話がとんだ。そう自分の二十代の頃の日記を読み返していて。自分がすっかり忘れていることの多さに驚く。でも読んだらすごく思い出せる。そんなことあったあった、と理解できる。そしてそれらを忘れてしまっている自分に嫌気がさすというか、薄情な自分をみる。特にK先生がしてくれたことの数々、自分でも卒業する時点で4回生の時間を一番一緒に過ごしたのはじつはK先生なんだよなあという自覚はあったし先生が良くしてくれたことも忘れていないけど、その結果のおわりの事実だけがはっきりしていて、具体的な日々の積み重ねのことを私はすっかり放り散らかしていたらしい。日記をよんだらほんとK先生は優しいというか、ゼミ生でもない私にも気をかけてくれていて、椅子で調子が良くないと寝てればじゃあ薬師丸ひろ子をかけてあげようと言ってくれたり、うたううあをかけてくれたり、一緒に先生の買ったDVDを見たり、アイスやらおごってくれたり、休み続けていたらメールをくれたり、しかし先生はかなり学生のあやうさには慎重な態度をもっているとも思っていたから卒業してしまったら自分がそれでもしてもらったことをすっかり封印してしまっていたんだなあ。ひどいなわたし。先生ごめんなさいという気持ち。私はゼミ生じゃなかったから、きっとずっとどこかで自分は部外者みたいな気持ちもあった気がする。でもだからこそのとれる先生との距離感があって、それが好きだった。

と、これはまた学生時代の話だった。結局大学を出たあとの時代の自分の日記は読みにくいし読みたくないしつまらないし、色々くそだな感でなかなか読み込めない始末。大学時代の方が、あれ、こんなこったあったっけ、あったなこんなこと、で面白くなってしまう。大学時代がミクシィとあわせると最もこまかに日記を書いていた。

その中に誰かの発言も残されている。誰かれがこう言った、と。そのなかに、去年の年末に言われたことを、同じ人が今から10年前、正確には9年半前くらいにも同じことを言っていた記述を見つけてしまった。ショックだった。それは私が言われた言葉だ。衝撃が強すぎちゃって、笑ったけど、ああそうかーと真顔に戻るしかなかった。それって結局変わらないんだなーと思った。昔も今もそれは変わらないんだ。私を見て、言うことは同じなんだなー。それはただ悲しくなった。でも、ようやく、よく、納得できる気持ちにもなった。それならしょうがないかー。まあもちろん勝手な私の解釈だけれど。でも同じこと言ってるんだもん。ひどいなーと思う。でもしょうがないよなー。まあでもやっぱりかなしいな。


最近ギターでコードをつなげて言葉つなげてのっけて歌うというようなことをし始めた。主たる参考がシロップだからしょうがないかもしれないけど暗い、暗いよ。めちゃくちゃな適当なすっからかんのすってんてんな行為だけれど、ああなんかな〜みたいな気持ちになる。