液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

特別よく生きたいとは思わないし、特別に死にたいとも思わないけれど、終われるなら早々に終わらせられたらとは思う。なんともえたいのしれない心地だな。なぜならはじめてだから。

私は子供の頃からとにかく何かが続かない。飽きてしまうのだし嫌になってしまうのだし。そう、べつに今初めて知ることじゃない、前からそうゆう志向があることは気づいている。だからそんな自分に嫌悪感がつのったものだ。でも今はどうだろう。ああ、そういえば、そうだな、やっぱり、そうなんだな、そうゆうことなんだな、とどうでもよくなっている。それならそれでしょうがないか、って。結果が出すぎてる。自分に嫌悪を抱かなくて済ませてしまっている。変な心地だ。

何かを選びとり続けられない、ということになるんだろうか。はやく今現在に終わりをつけたい。恥ずかしいみじめな自分の終わりを。そうして残るものはないということがとりあえずわかる。31になってわかるんだから、ほんと私はこの世で生きるのなんてあってないし、下手くそすぎるなと思う。能力がないんだなあと思う。思って、少しは落ち込むけどそれでうつになったりはもうしないらしい。もうやり尽くしたんだろうし。そう、ならばそうなんだ。あんまりたくさん働きたくもないし。働く行為はそれなりに出来る、対応できるしそれなりの能力もある。でも好きじゃないってことには気づく。働いてる人たちえらすぎるな。でも働かないとお金稼げないし、お金無いと生きてけないし、精神悪くするし、他に出来ることもないし、あったとしてもそれで働かずに生きていけるほど強くもないし、それなら、まあ、ほんと生きてる意味はぜんぜんなにもないんだからいつ終わりにしたっていいでしょうという感じはひとつとしてある感じ。

絶望もしていない、そんなのはしすぎたせいか。なんの価値もないったって、ぜんぜん悲しくならないのだ。ただのじじつ、ただのげんじつ、ただのじっさい、ということでしかない。何も変わらない空気がただよっている。わたしはどうして悲しくもないんだろう。いつでも死ねるしいつ死んだっていいと思ったら、それでいろいろ楽になったような気がしてしまう。がんばって生きる必要なんてなくて、あわないなら、むりして生きてることもないんだろう。でも、もちろん生きているので、意志があって生きている。生きることをやめたいわけでもなく、生きてくこと前提で生きている。でも、妙にふわふわした気分もいるような気がする。

そのバランスやコントロールの感じが、まだ慣れないのだと思う。