液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

気づけば今年は全然日記をつけずに終わってしまいそうだ。日記を書くということ、書くことへの気持ちを落とした。でもそれでも忘れられないらしい。今年はガクガクガクと収入を減らし、貯金を減らし、金がないととにかく色んなことはできやしないということを痛切に感じている。でもまあいいかと思ったり、一向に貯金できるお金も生み出せずこれがこの先ずっととなると自分の未来は沈没しかないと落ちこんだり、しかしそれでもまだ甘えてられる先やあてがあってしまうのでのんきに生きていられている。しかし現実的に去年ほどまでにはライブへも行かず展示を見にも行かずみたいな生活。そして刺しゅうをしている。

なぜ去年はあんなにライブの感想などを事細かに書き記せていたのか不思議だと思った次の瞬間、ああそうか仕事の時間だけどやる仕事もないからって書いていたっけなあ。いちいち毎度が反動でふれてしまう。自分に安定という体制は永遠になさそうだ。安定が不安なんだろうな。不安定であることの方が自分らしくて。

でもなあ、やっぱりなんでもかんでも忘却していくので、書き記していくこと、おくことは何よりも大事なことだとは思う。それを実行することがなぜ難しいと思えてしまうのか。iPadのせいか。ああ自分のパソコンほしい。打ちずらいiPad。いやまあでもそれだけじゃないか。

ことしの4月に出会った人と4月の終わりから付き合うことになった。自分の中では友達としていいのかもくらいでもあったけど、まあ拒否することもないだろうくらいの軽い気持ちで生きたかった。早いのか?なんていう疑問なんてださいでしょうと。自分にそんな選択権もないでしょうと。まあ今となってはよくわからない。

でも付き合いはじめて早々に私は不安になった。あ、なるほど、私は人と付き合うことに対してそもそも不安、苦手、無理なんだなと気づく。たしかに、と妙に納得してしまう。べつにそうゆうことしたくないんだな、必要としてないんだな、付き合うなんていう面倒のような手続きやくだりが。いやいやいやと思ってそこはもちろんちゃんと自分なりに手順を踏むことにしたけど。でもなんかつらい。自分を着飾っている自分にうんざりしてしまうけどせずにはいられない。なにその仕組み、という自分つっこみをしてもしても終わらない。それがよい、それがあるからこそ、それなしにはの先があるのかもしれないけどなかなかそうゆう枠組みの試練みたいのを抜けていかなければいけない恋愛というのは正体不明のわけのわからない得体の知れないものだ。どこか恋愛する自分、を演じているような気がしてしまうけど、でもすべて嘘でもなく虚でもなく、でも嘘だろうというのがひっこめられない。変な感じ。

そして私はやはり飽きっぽい、ということが関係してくるのかどうか。冷めてしまう、のか。理想と現実は違うと思いながら理想を夢見ているのだろうか。自分は小さいなと思う。わがままなんだろうと思う。でもそれでも自分を優先して考えることをやめられはしないんだから、ああ私には恋愛も結婚もむずかしいものなんだろうなあとしみじみ思わされる。目の前の事実が揺るがなくて、ずっと振り子のようなそれを座って見ているだけ。

自分には世の多くの人ができてるように見えるいくつものことが出来ないと感じる。感じて、ああ、と落胆する。はじめからなくて、それを途中で得ることもできず拾うこともできない。できないことしか選べない。でももうそのことで世界が終わるような絶望を感じたりはしなくなってしまった。そうか、そうなんだなあ、と少しは受け入れていくことしかできない。

仕事も友人も恋愛もなにもかも失くしていく。沢山を得たいわけではないのだろうけどそれでも中身のなさに無意味さやからっぽさを感じてしまうんだろう。でももうあまりに何度もこの自分の手にはなにもなさを確認しているからか、ああそうかと納得して、して、その先がない。それがいまいちどうなんだろうと思う。我ながらとても中途半端だ。それもわかってる。飽きやすくて中途半端。いうんなんだっていつだってどこでだってそうだ。だからなんだ。


とりあえず残り2ヶ月くらいはライブ見に行って見に行ったことを書き記しておきたいものだ。

最近は黒沢清の見てなかった作品をレンタルしてみて、映画っていうのはすごいもんだとあわせて本を読んでよくわかってはいないけどなんか思ってみてるあわいのとこにいる感じ。頭がよくなりたい。