液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

なにかに誰かに認められないと生きていけないのだろうか。誰にも認められないまま生きられないのだろうか。そんな欲を持たずに、熱望せずに期待せずに、生きることはできないんだろうか。誰かにこの存在を認識してもらわないと、いられないんだろうか。


もし、大学生のころにツイッターがあって、当然のようにみなが利用していたらどうだったんだろうって思う。そうしたら、みんな、もっと、分かり合えたんだろうか。どんなものを好みどんなものが好きでないかについて、なにを見てなにを感じる人なのか、なにも語らない人なのか。そうしたら、もっとちゃんと、ちゃんと誰かと向き合えたりしたんだろうか。もっと、冷静にいられたんだろうか。もっと知性を蓄えられたんだろうか。

でも、なかった。あと少しぎりぎりでそれはなかった。だからそれでよかったんだろう。その時の限界だ。

毎日時間が足りない。なにもできないまま、毎日寝て食べて働いておわる。これなら死んだ方がいいんじゃないかと思えるのに死ぬことについて思う時間すらもっていないのだから。

私の頭や身体はいったいどうなっているんだろう。何でできているのか。私はなぜ生きて、なぜこれからも生きるのだろう。ぜんぜんわかっていないのだから。

自分が恥ずかしい。恥ずかしい恥ずかしい。だからさっさと死にたいよね。でもその時がくるまで頑張らなきゃいけないだろうとも思う。すべては死を迎えるための準備。生きてるより死んだ時間の方が相当ながいのだろうか。