液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

また最近ちょっとギターを弾いたりしている。弾いていないとまたあっという間に弾けなくなっている。こわいものだ。曲をつくれたらいいのにと思いながら結局意欲がないだけになってしまう。その壁を乗り越えなくてはと思う。また相変わらずコードをつなぐだけそれだけおなじ。指の皮がむける。実感。

私はいつもなにごとにも貪欲さがない。真剣味も本気もない。だらだらしている。だからバカのままでいる。理解できないでいる。なんとか脱せねばと思う。すべては遅いけれど。何かになりたいのか?何かをしたいのか?わたしは。いつかそれを見つけられるとでも?ちがう、見つけようとしていない、まだまだ、本当にちゃんと生きていないのでは。なにもわからないままで、なにかをわかりたいのかどうかさえあやしいと思うけど、そのままで嫌だと思うなら変えていくしかない。変えるとはどこから。


一昨日に電話をして、もうまた心が簡単に折れるっていうか。気持ちというものはどうしてこんなにも軽々しくもあっちへ行ったりこっちへ来たり移り変わってしまうんだろう。わたしには永遠の気持ちなんてきっとない。だから誰のことも信じられず、好きでいることもできないのかと、思う。
一度決めたはずのこともさららと揺れ動いてしまう。もうやめようかと思う。もう電話なんてしたって自分が嫌われるだけみたい。もうほら、答えでてるじゃん、意味ないじゃん、無駄じゃんって悟しの声が湧き出てくる。おいおいだからもうそうゆうのやめようって、自分がちゃああんと納得を、自然な納得、受け入れをできるようになるまではたとえ答えが変わらなくてもがんばろうって決めたんじゃなかったんかいというツッコミの影は見えている。
でもなあ、片思いってやつは大変なものだ。片思ってるのかどうかも怪しくなるものだ。なんであんな人を好きだとか思ってるんだ?おかしくないか?何か裏の目的、真意が自分にはあるということなのでは。とかとか考えてしまう。まあほんと好きかどうかなんて全然わからなくて、わからないから実験みたいな、観察みたいなものでもある。
誰かから愛されることも自分が誰かを愛すことも必要としていない、というような答えはなにかあまりにもこざっぱりとしすぎているから、冷たい人、持たない人、欠陥のある人、寂しい人、になってしまうのではと、そんなことに自分自身怯えているのだろうか。でもはっきりそう思うほどの実感はない、まだ。それがはっきりした形をもつことはずっとないかもしれない。それで平気かなとも。でもいつか、それでもそれで生きていくというほどの余裕や意思を果たして自分は持っていられるのかなと思う。ないとはっきりわかってしまったら、自分も死ぬしかないんだろうか、あっさりとそのときほど死ねるんだろうか。それとも生きていたいと思えているんだろうか。
自分というみじめさをまさかこんな歳になっても誇大したこれをこんあにもかついでいなきゃいけないことになってるとは、小学生の頃には思っても見なかったことだな。