液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

はてなダイアリーからブログへ移ってみた。関係ないがここ最近はずっと気分が沈み続けていて最悪だ。まあ10代の頃から1月2月はうつうつとなりやすいのは知っているから、いつものことだとはおもうけど、毎度毎度こんな気分にならなきゃいかんのかと思うと、生理が毎月くるのもめんどいけどこれもまためんどいな。いったいいつまで生きて続けるんだか。

でもまあそれでも毎日仕事には行き、ご飯作りたくないお風呂も入りたくないと思いながらどうにかやっているんだから働くという強制はすごいものだ。またお金を稼がねばならない、稼がねばこの生活を続けられないぞっという脅しも大きい。というかそこから逆説でいうと大学生の時はだらけることが許されていたから、守られていたから、気を病めることができてしまったというだけなのだろうか。なんだか、あほくさいな。私は、アルバイトで働くことさえできなかったが、もし、それが出来ていたら違ったんじゃないかと、30を過ぎてどこか夢見てしまう自分がいる。あらゆることに、当時の自分にはできなかったがいやもし出来ていたらという可能性に夢見てしまう、なんて、それは今の自分に充足していない、もの足りていないからだろうか。

どこかで何か変わりたいと思いながら、その手段?方法?が全然見つけられない。何もしていないから。変わりたいって、なんだろうな。私はずっとそれを願いながら、願っていれば誰かがやってくれると思っているんじゃなかろうか。そんなのは愚かだろうと思いながら、否定できないでいる。自分はこの先いったいどうやって生きることができるというんだろう。あまりにばくぜん。それでも稼いで生きているので、バカみたいだ。こんなバカでも生きていくことはできる。でも、それでは物足らず、おそれ、恥ずかしく思えてしまう。自分にみじめさを見出してしまう。いつまでたっても頭が悪く、知識の蓄えも、何かを解説することもできない。そして途端になんでこんな不細工な顔、姿形をしているのかとうなだれ始める。

いったい私は何が不満なのだか。自分には、不満だろう。不満ばかりに目を向けていても何もない。もうそれもそれで見飽きている。

 

 

もうやめよう、と思う人がいる。もし次会うことがあったのなら、もうこうゆうことはなしにしようと、言うべきなのではと思う。  -あれ?考えてみたら昔似たような場面があったな?その時はいわれる側だったかな?ー  そう、考えた。電子書籍吉野朔実の恋愛的瞬間という漫画で描かれてるように、さらっと、もう会うのはこれで最後にしましょと私も言いたい。単純にそれを見て、ああそう言うべきなんだろうと感化された。だって、その通りだ。

漫画で描かれてるのは何かと事情は違うが、特別に好きでもない人と寝て、この先もお互い特別に好きになる見込みもなくて、片方にはむしろ別れるつもりなんてさらさらない相手がいて、あああつらいなあと思った。そんなの胸に痛すぎるなあと、人の、漫画の話を見て思う。そうするとどこか自分のこの状況もまた重ねられ、同じようにこれは痛いものだと感じてしまった。客観的に見たら、たとえいくらそれでもいいなんて盲目に思ったって、いやいや、そんなのないよね、と思えてしまった。

言えたらなあ。でも言えないかなあ。どっちにしろ、結局それの選択をわざわざしなきゃいけないのは私で、も、その時点でめちゃくちゃめんどくさいな。めんどくさい奴に付き合ってるほど暇なのか、私。なんか一昨日くらいにどっかの星占いで端的にうお座は人に共感しやすくやさしいが、ルーズになりがち、と書かれててうわその通りだーーーと頭を抱えた。うお座はよく不倫に溺れやすいとか定番に書かれてて、私は不倫なんて一切興味ないし、結婚してる人、彼女いる人を好きになるとはないけどな、とずっと思っていた。あーでも優しさ=ルーズさで考えると不倫に陥るのもすんなりわかるかも、と思えたのだった。ううんん。