液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

好きな人が他の人と付き合い始めたことを知らされたという友達が、これがいいんだと教えてくれたのが冬にわかれてのなんにもいらないという曲だった。その場で、本来ならいるはずのないその場にいた彼はスマホでその曲のYouTubeのMVのページを見せてくれた。それは、私もすぐにすんなりいいねと頷けるものだった。

君は、思いの届かなかった、私の知らない、君の好きな女の子のことを思ってこの曲を聞くのだろう。ということをこの曲を聞くたびに思わされている。この曲はすべてその女の子のために響いているのだろう。そして君は死にたくなっているだろうか。泣きたい気持ちになったまま泣けないでいるだろうか。私にとってこの曲は君が思う君を思う曲、だろうか。

なぜこんな曲を聞いてしまうんだろう。聞けば聞くだけ私はそこにいないことを思い知らされるのに。君が悲しめばいい。苦しめばいい。死にたくなればいい。そして救われたらいい。好きな女の子は恋人と別れて、君のもとにやってくる。そんな知らない誰かのことを勝手に想像して、私は誰かの不幸や幸せを願っている。どちらにしたって、私は結局関係がないのだ。私はそこにいないから。

何度何度、そんなことを思い知り、思い至れば忘れられるんだろう。わかってはいるはずなのに、それでも思い至るたびに胸が削がれるようにすっと消え去るような気配がするのはなぜなんだろう。その度にひやっとして、自分はなにもわかっていない、受け止めていないのではないかと虚しくなる。私はそこにいないこと。あと何度わかればいいのだろう。何度この壁にぶつかって、頭を打って、ゴンと自分にこうゆうことなんだよと教えさとせばいいのだろう。

 


冬にわかれて - なんにもいらない