液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

今週は仕事がひまめなので毎日早い帰り。しかし先週のどたばた〜土曜出勤がきいたのか、日曜になるとひどく体がしんどく、なので寄り道などすることもなくただ早く帰って刺しゅうしたりカレー作ったりdommune見たりスマホ内の写真を繰り返しなんども見てはおもしろい写真などは全くないことを確認したりしている。

 

急にふいに昔の日記を読むなどがたまにある。それは何かがキッカケで過去にタッチしてしまい、そのことは日記に書いてあったんだったかな?となるのでがさごそと漁り始める。これが漁り始めると止まらないのが常だ。しかし結局漁ってるのはずっと、いつも、学生の頃までのものだ。正直言ってそのあとの数年などは特に自分でもまったく目にしたくない。あまりにくだらないことばかりが書いてあるはずだ、しかも何年も、つまり働くでもなく学ぶのでもなく人づきあいも出来ず自己嫌悪と不安と恐怖と逃亡と怒りと喪失の延々とした日々のことだ。自分でその頃のことを思うと、うんざりしてしまう気持ちや、残念な気持ちで目を当てられない面がある。気持ち悪いと思う。20代の日々は私にとってはマイナスというか、削がれるばかりでしかなかったと思う。自分でなにも付け足すことなどできず、どんどんと醜くなり、まるで臭かったのではないだろうかと想像されてしまう。そのことは自分にとってずっと恥であり、後悔であり喪失だ。えぐられた内への彫り、へこみはいつでも露呈してしまい、なにかで取り繕うこともできない。ずっとずっとことのことについて、こんなふうにして、ぐじぐじと引きずってしまう。自分は本当にそのときそこに居たんだろうか。また、まるで記憶がないみたいなのだ。その時間、3〜4年のことは点として思い出せるものがあるとしても、その点を埋めるものがあまりにない。そのことが、自分でも心もとなく、捉えられていない。空虚なのだ。だから、言葉で埋めようとしている。でも、なんにも埋まりはしないな。なにも見えていない。見たくないのだから、そりゃそうか。

 

しかし昔に比べて毎日日記を書く必要性はすっかり薄れたのだなと思うと、あんなに毎日を記すことができたのは気持ち悪いなと思えてくる。もともと多くはないが比べるとより一層今は人と会う、喋ることもずいぶん少なくなり、誰がどうしたこうしたというものがないので自分のことしかない。その自分は日々の繰り返しの中を移動してはまた同じ手順を繰り返しているだけなので特段なことはない。日記ってなんなんだ、となったりして。

 

時間はどこへいった。f:id:qyu:20190517000611j:image