液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

朝からお腹は痛いので薬を飲んで様子見して昼過ぎに出かける。しかし洋服を選んでいたらなんかスカートがきつい。ゴムのないスカートの無慈悲さに打たれる。そんなに太ったのかと思うと深刻だ。スカートがない。新しいスカートがわたしには必要だ。また欲しいものがつくられようとしてる。もう嫌になったのでズボンにする。

まず有楽町に行って馬油を買う。北海道のショップでほんとはソーセージも買いたかったけどこのあと夜まで歩き回ることを考えるとあまりよくないので諦める。ギャラリー小柳の熊谷亜莉沙 Single Bed(黒バックに描きこまれる強烈な物語。うっとするような詰め込み。特に人物の艶やかな柄のシャツが描かれた作品がとても良かった)、POLAアネックスの束芋 透明な歪み(初の油絵らしい。しかしそれより陶器?で作られた小さな腕が自分には強烈に入り込んできた。インスタレーションの映像はジャンピエールレイノーの家みたいだった)、ガーディアンガーデンの横田大輔 Room.Pt.1(PVCに印刷、壁面に重ね吊るしてる作品が良かった。とことん写真というものを扱おうとしている。テキストが量多いのでまだ全然読んでない)と見て回る。途中で三越に入ってインスタで見てたブランドのイヤリングを買う。私にとっては少し背伸びしたお値段だ。店員さんの頭および顔の小ささがすごい。デパートは室内なのにキラキラとまばゆく影があるゆえに反射が強いかのような特殊空間だ。まぶしくて殺されそう。こうゆうときにカミュが浮かぶのは避けられない。シュウゴアーツでやってた米田知子さんの写真のことが強く印象に残っている、その影響の?カミュ。異邦人とペストしか読んでない、それは十分か、いや?

それから市ヶ谷〜飯田橋に移動予定が電車を乗り過ごしまくっていた、気付いた時にはもうおかしなことになっていた。こりゃやばい、ライブの時間からの逆さんが、計画が、総崩れ。しょうがないので市ヶ谷でミヅマギャラリーだけ見る。赤松音呂さんの新作、水が気化するときの熱を利用しているらしい。思ったより音数が少なくすこしさみしい感じも。というかそちらのさみしさの方が存在を感じられてしまい、この現状がほんとに望ましい状態なのかどうかなど気になってしまう。とはいえガチャガチャ音が鳴っていても違うだろうし。けれど、オブジェ?の近くで見聞きしようとするより、ふいに背中の向こうから音が鳴り出すときのほうが良いなとは思った。バリエーションがあるようでないようなのが一番気にかかったのかもしれない。

 

それから原宿VACANTへ。山本達久さんのソロライブ。達久さんを初めてみたのはじつは大阪のBRIDGEで、最後のFBIのときだったらしいが記憶にはない。FBIのメンツを今更ながら見返してみると、なかなかすごい。その当時は私もそんなに音楽に興味もなかったりしてて、即興がすごく好きとかでもないし、ただ毎年なにかおもしろいことがやってると思って行かなきゃならないと思っていた。今考えるとなかなか特異なものだなと思う。達久さんは2007年だとまだ山口にいたのだろうか。

またツイートからの引用で書く。これ、書くの結構手こずったのだ。なぜか、わからないが、やはりまだそんなによく知らないことについてはすらすらとは書けない、出てこないのだよなあ。書きたいこと、イメージはあるのにそれが自分のなかのこれっていう言葉に変換できない。文章として成り立たないというか。うっかり嘘みたいなどうでもいい言葉で書きそうになる。いやそんなこと書いてもしょうがない、と思ってじゃあなんなんだよとうんうんうなる。別に常に正解があるわけではなく、あくまでもその時の感じのことを書きたいだけで、そんなぼんやりをそのまま記したい。がたとえそう思ってても、これ(見たこと聞いたこと感じたことといった言いたいこと)をどう言えばいいのかがわからないとうんうん書いては消してを繰り返す。凡庸な言葉が良くないわけではないけど、なんとなく避けようとしてたりするかもしれない。それはよくない気がする。何が書きたいのかわからなくなりがちだ。なるべくそのまんまを書きたいだけなのに、そのまんま書くことはじつに難しいなと思う。と思いながら特別なものを書きたいわけではない、でも適当なことを書きたいわけでもない、あったままを書けばいい。しかしいつもに比べると淡々とした低い温度感のものが書かれた気がする。それはそれで自分にとって新鮮で面白い気がした。いつもながら拙く、機材や実際の正確な描写は知識がないのであやういものだ。そんなもの、本当はどこかに隠しておきたい気持ちもないことはない。けれどとりあえず今の今に記しておけばそれはいつか役立つかもしれない。記さないことと記すことでは全然違う。人の目にふれませんように、という願いをかけながらも人の目にふれる可能性にかけてもいる、それはずっと同じことをし続けている。