朝眼が覚めるとぐうぐうと苦しい。まるで前から両肩を押さえつけられるように起き上がるのがつらい。なにか見えない敵と戦うようだ。あとから考えると金縛りに似ているようででも全然違う現象ではあった。起き上がることを許されないおふれが出てるかのような、起き上がったら罰せられるかのような。うわあなんだこりゃあという感覚のなか聞こえたのはご飯の炊けた音。昨晩タイマーセットしておいた。朝にセットしておくのは珍しいのだが。大して良くない炊飯器なので、冷凍するには炊けたらすぐにラップに包まないといけない。保温で放置するとまずくなる。だから朦朧とするなかでそれは、それだけはやらなくちゃいけないと思って気体に全身であらがって起き立ち上がり、半分見えてないような気持ちで出来立てのご飯をラップに包む。ほめたい。そうしてまた布団に倒れこむ。起きなきゃいけないという気持ちといや体がこんなに言ってるんだからいいのではないかという気持ちがせめぎあうのか寝ては覚める。でもやっぱり体がものすごく重く、言うことなんてこれっぽちもきけないという感覚にどんどん支配されていく。何度目かの目覚め、8時前なのでもう連絡しないとと思って社長にメールする。起き上がるのもつらくて、と書いたがご飯のためになら起き上がったんだけどと心のなかでつぶやく。

その後もひたすら重力に縛りつけられ、流石にいつまでもこうしていてはいけないと思う。湯船につかろうと思う。入る。出る。それでもあまり変わりがないのでこりゃいったいなんなんだろうと思う。考えたらここ数日連続して夕方になると頭痛がやってきていた。最近はごぶさただったけど暑くなってきたせいかと危惧していた。迷惑だ。疲れているから頭痛するのか頭痛するから疲れているのか、そうゆうのはわからない。果たして関係あるのかどうか。

夜に見にいくライブまでにどうにかなればいいかとだらっとする。なんとか少し持ち直してきたので新宿行く前に飯田橋に行ってアンスティチュフランセの金川晋吾さんの展示『同じ別の生き物』を見る。同じで別で、同じで別の、生き物かあと思う。像の皮ふがすごい。いなかのおばあちゃんの皮ふのことを思い出す。自分の皮ふもいつかこんな風になるのかなと思う。子どもの頃からアトピーで今も傷が簡単については治りの遅い貧弱な自分の皮ふはいつも頼りなく、30も過ぎて老化を感じざるを得ない。いつまでも同じではないだろう皮ふがたるんだりシワが刻まれたり表面が固くなったり、そうゆう変化は自然とやってきて、それに抗おうとかしてるけど、無意味な気もするだろう。なぜ像なんだろうな。ピントの合っていない写真に自分はピントを合わす。

 

それから新宿三丁目へ移動してピットインでVincent Atmicusを見た。日記によると6年ぶりということになる。も、私は、ヴィンセントが特別に好きすぎちゃって、、といったようなことはもはや散々書いている気がする。でも特別に好きだからこそアルバム出してばんばんライブやっていた頃がむちゃくちゃかっこよくて無敵だったのを知ってるからこそ、こんなにも久々にやるっていうのは少し複雑というか、あの頃と全く同じではないよなあということとか、新曲といったものはないということとかが少し寂しくも感じられてしまうものがある。

だがそこに今回はサックスで後関好宏さんが参加するとのこと。そうゴセッキー、ゴセッキーと私が呼べてしまうのはDCPRGで吹いているのを見ていたからだ。むしろその後のことは全然知らなかったが数年まえにNHKの音楽バラエティ番組見たいのにバックバンドみたいなので出ているのを見かけ、在日ファンクでも吹いていると知った。そして最近では芳垣さんと共演しているのをスケジュールで見かけていた。なんせ17の頃とかの記憶で曖昧だし当時は今ほどはネットに情報が安定して流れていたわけではないが、ゴセッキーはDCPRGで一番若くてでも菊地さんに声をかけられて後から加入したらしいことはなんとなく知ることができた。一番若い、そしてブログでもすごく素直そうな純朴そうな人柄が見て取れたので他のメンバーがもっと年上で占められてたこともあってか私としては親近感があったのをなんとなあく覚えてる。

そしてヴィンセントはもともと菊地さんがいたバンドだ。まあ単純にそこにゴセッキーが入ったからって菊地さんのフレーズを吹くとは思ってないけど、でも、私としては当時のDCPRGで共演してた芳垣さんやタイセイさんとゴセッキーが共演するのをまたここで見れるなんていうのは時間の流れを目の当たりにするようだと思った。そしてそのことはライブで実際に見て本当に目の当たりになって、なんともなんともいえない気持ちでいっぱいになった。それは本当に言葉にならなくて、ただただうわああーという思いでそのままにしてたら液体となって垂れ流していまいそうなものをこらえながらステージを見ていた。私が知らない間もゴセッキーはサックスを音楽を続けていて、こんな風にサックスやフルートを吹く人になっていたんだと思うと、なんだか感動してしまったのだ。

セットリスト通りに思い出すと1曲目はMBIR-VA、ゴセッキーがまずフルートを手にしていたのでおっと思うと、そうか、タイセイさんがフルート吹いてたのをゴセッキーが担当し、それによってタイセイさんは鍵盤ハーモニカを吹いた。それがまたさすがって感じですごくかっこよくて素敵だった。曲にとっての新しい音だ。あー、タイセイさんの色んな楽器を扱えて様々な音色をまるで色とりどりの鳥のように奏でてしまうところ、ほんと魅力的なんだよなあと久しぶりに思い出す。この後もずっと全部、自分はヴィンセントの曲をよく覚えている、知っているとわかってしまう。この曲の始まりは自分にとってもヴィンセントらしさをとても感じる曲で、あちこちばらばらなところから音が集まってくるイメージがある。それは例えばどんな辺境からなんだろうか、大陸か、海か、地球上なのか。あと、水谷さんと芳垣さんの音がとても気持ちよく出だしから聞こえて、ああこれぞピットインって感じだなあと思った。

2曲目は太田さんのハミングみたいな宗教音楽のような雰囲気からTurkish Van、この曲で早々にツインヴァイオリンのコントラストの面白みは映える。これぞヴィンセント、と思う。我ながらよく知っている。

そして芳垣さんのお喋りで鬼怒さんからの楽曲提供の経緯が明かされつつ(ボンデージフルーツであまりやらなくなったからくれたとか、もはや何度も聞いた気がする)大建設、これは左右で4人ずつ別れるパートがあるわけだがゴセッキーは右の芳垣さんチームへ参加。芳垣さんと岡部さんのツインドラムと言ったらROVOのドラムセッションが有名だろうけど、この曲で見せる交互にいかに自分のチームで音を鳴らし遊ぶかといったやり取りはまた全然別物で面白い。でもまあちょっと芳垣さんのが上手かなあと芳垣さんびいきな私は思っちゃう。芳垣さん岡部さんならではの繊細であり豪快でもある音の投げ合い、やり取りは見ものだ。全員で鳴らすところも太くこぎみよい音がどこかの深淵にいざなわれるようだ。こうゆうのがやはりトロンボーンがいる音の面白さだなあと思う。

そして4曲目Eatborfa、この曲はちょっとROVOっぽいツインドラムの動きになるなと思う。その上を走る高良さんのヴィブラフォン、と言うのが最高に楽しい。私の中ではジブリ作品の何かしらの疾走するようなシーンが結ばれる。約1時間、前半はこれでおしまい。後ろの席の人の声がでかくてうるさい。

 

後半は芳垣さんがいつも言うことだけどタイセイさんの曲が好き、その中から、くつわむし。絶対やるだろうなとは思っていた。松本さんが出だしの方のタイセイさんと一緒に吹くトロンボーンパートがちょっと辛そう。メンバーのなかで松本さんが一番お年を取られたなあと思っていたので、しょうがないのかもしれないとは思いつつ、ここのトロンボーンパートはとても象徴的な音だ。揃わないのは少し残念ではある。しかしこの後もみなさんそれぞれおよよっとミスが出る場面が出てきて久しぶりでこのバンドの楽曲をやるハードルの高さをささやかにも見て取った。

 次は魚鳥とフンデルトヴァッサー、嬉しい!この曲は前半と後半の化けが面白く目がさめると言うものだ。今回は後半での太田さん勝井さんのヴァイオリンの交互に投げかわす展開が熱かったことといったら。特に勝井さんの熱で焼き切るような強靭な音に対して太田さんはやや上品すぎて弱いか、と思っていたら太田さんがヴァイオリンを替えた!青いほうは上品な高貴な音を出す感じで、それを赤茶のぐんっと遠近の強くはっきり出る方のヴァイオリンに替えてきたので、ああそりゃそうだよなと言う思いとどうぞそれで負けずと弾いてくださいと期待を込めて思ってしまう。勝井さんはROVOでしか見てないので、そうかこうゆう音も出すんだよなあと改めて知る。とてもかっこよかった。

3曲目のParadeではゴセッキーのサックスが前に出てきててとてもかっこいい。ゴセッキーのサックスはアルトを小さくしたような形でソプラノみたいな音を出す、見た目がまずかわいい。そしてまあるく綺麗な美しい音を出す。初めて聞くような楽器だったのですごく新鮮で、目をつぶって聞いているとあれ?なんの楽器の音だっけ?と思ってしまうこともしばしば。なんかなこんな純粋に綺麗な音、と形容し、思ってしまっていいのかなって言うくらいに美しい音だったんだよなあ。吹き出される音自体が。素直でひねくれてなくて。こうゆうまっすぐな音もあるんだなあと、そんなことも知らないのかと呆れてもおかしくないようにして思った。

最後の曲はタイセイさんの曲、⭐︎⭐︎🌙、これも定番曲だけどやはりピカイチで面白い曲だろう。芳垣さんが好きだと言うのも十分よくわかる。

アンコールはColombian March、あ、もう全然覚えてないけど良かった、終わってほしくないくらい良かった。終わってしまうのかと思うと物足りない気はした。この日は立ち見も結構いたんだと思うし何より自分と同じくらいの年代の人もまあまあいたように見えたし拍手喝采で興奮した場内があった。でも昔はもっとすごかったんだよって思っちゃう自分もいるかなあ。でも別に同じことを求めたいわけでもないし。昔と今はそれぞれだし今が悪いなんてわけではない。ただ私が思ってしまうのは、ビシッと決まるこのバンドの醍醐味のアンサンブルの楽曲の強さをあの当時もっともっと多くの人が知ってくれていたらなあ、見てくれていたらなあといったことなんだろと思う。このバンドが見せてくれた、聞かせてくれた静寂と躍動、個と群、リズムの複雑さに安らかなメロディ、合わさるダイナミズム、それは私にとってROVOでもDCPRGでもないこのバンドでしか出会えないものだったんだなあと、それは今になったからよくわかるのだろうかな。色々なことが色々なものを含んで思うことがいくつもあった、そんな一夜だった。良い夜だった。