液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

 

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最近はコールスターサラダを作るのにはまっている。よく作る。よく食べる。作りながらiphoneで音楽を聞く。料理をしながら聞く音楽は意外と自分に寄りそってくれるかのようによく聞こえる。

田辺聖子さんが亡くなったそうだ。アエラの昔のインタビューの発言が印象的だ。子供の頃から全然本を読んでこなかった私にはなんだか響くなあ。それでも大学生の頃から少しずつ読むようになってきてるけど、子供の頃から読むことが癖づいてる人とは圧倒的に読める量が違うだろうと思う。もっと読めるようになりたいけれど読めなさもあるのだ。

恋愛が苦手な人は、言葉数の手持ちが少ないんだと思う。恋愛って言葉が大事だから、本をたくさん読んでほしい。言葉をいっぱい集めて、自分の舌でなんべんも転がしていくうちに、だんだんなじみのあるものになっていくから。もっとお口に油塗って、おしゃべりを楽しみ合わないと。相手を少しでも気持ちよくさせてあげようって。

 

日記を読む会のことで思い出したことの追記。ワークショップといった名前にはしなかったというこの会のこと。私が特に気になったというか気に入った?のは会を呼びかけた金川さん自身も参加するということだった。読みを終えたあとにみんなで会話をしているなかで人の日記を聞くだけではなく自分もさしだすのだといった話が出て、その、さしだすという表現は良い気がした。他の人たちもわりとそれはしっくりきているようだった。そこに続くようにして出たのがヒエラルキーといった話だったのだろうか。たしかに、とは思った。

今年に入って参加したもので言えば田中功起さんの可傷的な歴史のアッセンブリー、志賀理江子さんのヒューマンスプリングのてつがくカフェなどががどちらも全体の人数が多かったのは共通している。てつがくカフェの方が特に自分としては消化不良で、自分にはなじめない気もした。ヒエラルキーというわけではない気もするけど、そうゆうもの?が形成されないというわけでもないような感じはした。とにかく人数多すぎが辛かったし。アッセンブリーの方はグループになって10人程度にはなったし、特殊な環境を設定されたので緊張感含めよく聞きよく答えよく問いをださねばならないようなものがあったのは印象深い。私としては考える時間が短く感じたところもある。自分以外の人の話を同時にいくつも聞いていく作業は結構疲れるし大変でもある。私なんかはそこにおいて自分の言うことの正しさもすごく気になってしまうのでこわごわとするところもある。周りと比べたら自分の頭の悪さが出てしまうのがこわいというような。それは避けつつ避けられない直面状況。

日記を読む会でも少なからずそうゆうものは機能したと思うけど、でもそれが他の人たちの日記を聞いていくなかで変わっていったりもした。読み方についてもみんなであれこれ言いながら試してみたり、用意されたルールを試すのではなかったのは良かった気がする。