液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

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おとといからのつづき。シュリンゲンジーフのフリークスターを見てからドトール行って、お互い昼を食べてなかったので適当に食べる。隣の席の若いカップルが、男の子が女の子のほおを包んであげてたりして、店を出てからそのことについてわざわざ話を振ってくるのがガキだなあと思う。それからボトロップの120日を見る。こっちはニュージャーマンシネマ?についてなどの知識がないとかなりわからない。ファスビンダー、パリゾーになど。シュリンゲンジーフの作品は基本的に時代とかなり密接に交わっているからその当時の特にドイツの社会状況などがわかってないとちんぷんかんぷんなところも多くある。でもそれでもそのはちゃめちゃな、意味なんてなりふり構ってられないほどに奇妙な連続に引き込まれる。チェーンソー大虐殺でさえも。シュリンゲンジーフは知れば知るほど魅力的であり奇妙で狂気じみていてそれが可愛らしくさえなってしまう。一体何でできているのか、もっと良く知りたい。本当は3本目も見るか、と思ってたけどお互いもうお腹いっぱいになった。私がヒカリエに行きたかったので行く。セールが始まってたので雑貨でいいものないだろうかと思うけどなんかここに来て急激に物欲が狂う、減るほうへ狂うっていうか買うべきものがよくわからなくなる、お金の使い方がわからなくなる。イデーで花瓶いいかなと思うけどセールになってるわけでもないし今じゃなくて良いわけで結局なんも買わず帰ることにする。ヒカリエは嘘みたいにキラキラしていて自分も何か麻痺できるので楽しい。なのでJRの改札のあたり通った時に友達がやっぱみんな金持ってそうだったあそこが変だったんだな、とか言ったのもまあわからないでもない。まあ言ってることはしょうもないことだと思うけど。夜ご飯どうする?と言ってまだ18時過ぎ。こないだ行けなかった蕎麦屋は?と言われてああなるほど、と思う。駅に着いたら雨が少し降っていた。私が持っていた長傘で歩く。こうゆう時傘を持つこともしない男ってどうなの?とも思うし自分で持った方が傘のコントロールが効くので自分で持った方が良いとも思う。蕎麦屋では私はあったかい蕎麦、友達は利き酒セットなども頼んでいた。少しの余裕と贅沢を持つこと。酒を飲むのは半年ぶりくらいらしい。私は少しチクリと腹痛がしていた。一緒に酒を飲んだのもそういえば随分久しぶりかも。私はそもそも滅多に飲まないし。学生の頃は先生と一緒にってのは、そういえば、よくあったな。3人で行ったら、悔しいので私も無理してビールを飲んだりした。悔しいって、ほんと、若いなあ。だって私も男になりたかった、というか、同じものが飲みたかった。同じものを飲めばそれだけで同じになれるような気がして、なれないのはわかりきっていた。こんなことは別に一緒にいる時に思い出しもしなかった。友達は随分満足したようなので、良かった。ここはたしかに美味しいお蕎麦屋さんなのだ。何を話したかとか、まるで全然思い出せないな。たわいもないことだろうか。

家に着いて、掃除はしたけど片付けまではあんまできてなくて、とかいう言い訳なんだかなんだかよくわからないセリフを吐く。床に重ね置いてあった本などを見られる。エトセトラを見て、これ気になってた、と言われる。でも君が読んでどこまでこれが受け入れられるのかな?と内心思う。私にはとても勉強になったが。次号の特集が田嶋陽子なのやばくない?とか話す。写真や建築のことについて自分は話せないことに気づいた、とか言っており私の本棚にもあるホンマタカシの本を買おうと思ってるとかなんとか。そう言われてみるとそうか私は写真が好きなんだなとなんとなく気づかされる。でも何もわかっちゃいない。ずっとそうゆうことが恥ずかしい。基本的に頭が悪いことはいつになっても変わらないらしい。がっかりするが、当然だとも思う。友だちにセックスがしたいといったようなことを言われても私は生理が近く、もしかしたらすぐ来るのかも、でも予定日で見るとあと2.3日あっておかしくない、最近は事前の知らせ的なものも来るのが早いのでまだ平気なのかも、といった状況だったがなんとなく腹痛があったこともあり生理が近そうだから無理だと思うなーとは言った。露骨に残念がる姿、それは予想通りだな。ほんとそれしか考えてないな。あほか?と思う。およそあほだろうその点については。その後記憶がおぼろげだがなぜかふたりしてうたた寝した気がする。私は大して眠くなかったはずだがまきこまれる。なので先に起きてシャワーをあびる。しょうがないので友だち用に湯船をいれてあげる。こうゆう時このような世話をしてあげられる能力はどこからやってくるのか、気味が悪くも思う。お風呂上がり後いろいろと喋るも私は机の椅子に座っていることにしていた。あまり簡単に隙を与えたくはなかった。でもまあなんとなく話すこともなくなり、そこに隙があったのか、友だちの思うつぼにはまってしまう。体をさわられる。それは自分としての能動さはどんだけあるのかって感じだが、私としては特に何もなくて構わないって思いと何かあっても構わないって気持ちが結局は半々なのかもしれない。どちらでも、という態度。でも本当は拒否したい、拒否するような自分でいてみたい、けど結局できない。なぜか?それはよくわからないけど、友だちのことが嫌いじゃないからだろうか。嫌いではない、それだけで理由たりえてしまうのは愚かなんだろうか。まあ結局は愚かだと思うけど。いったいこれってなんなんだろうと思う。これがくされ縁というやつなのか?なんで大学卒業してからもこんなこと続けてるんだろうか、と思うと呆れてしまいそうだ。変だ。変だが、変ということもないだろうという思い。ここにはなんの整合性もない。連続性もなく、前後とはぶち切れになったこの時その時のことでしかない。もはやすでに過去も消え去りつつあり未来はもちろんないなかで、現在というところのアホにおちゃらけているような。私は誰かよく知らない人と寝るとかはないなと思っている。加えてなにかしら相手に魅力を感じてないと嫌だろうなとも思う。そうゆうところは友だちの場合とっくの昔にクリアしており、そのうえで今になってもまだ寝たりしてるのはお互い恋人もいないしねっていうそれくらいの都合だろうか。でそれでいて私たちが恋人になるということはないわけだけど。恋も愛もなく、付き合いの長い友だちとのセックス、数年会ってなかった期間もあるのに互いに恋人がいた時期もあるのに今もずっと離れたところに住んでるのでそもそも会うことすら稀なのにそれでもまたしてるセックスを介して私たちはなにかわかりあっているのか?いやなにも。ただひとつのコミュニケーションをとってるに過ぎなさ。もちろんそこには少なからず時間の共有や感覚の共有もあるだろう。でも行為することの目的や感情はぜんぜんすり合わないような。これはこの話はまじ数年持ち越し話すぎてもはや自分ではなんも語れなくなってしまいそうな迷宮のこわさがある。誰かに解明してほしい。もしくは誰かにもうそんなのやめなよとハッキリ言ってもらえたらとか思うけど結局誰もわざわざそんな口出しはしないものだ。ここにあるのは善悪なのか?そうではない気はするのだが、そんな感覚になってることがもう腐っているのか。これは遊びか?ゲームか?暇つぶしか。自分は不潔か?ふしだらか?不憫なのか。結局こうやって友達が帰っていった後自分が少なからずもやもやとした気持ちにさせられるのがすごく嫌なのだ。でしばらくしていけば時間の経過というものが私を都合よくこぎれいな思考へと導いてくれる。けれどそうやって忘れて方を付けた頃になってまた友達が連絡をよこしたりする。どちらかに好きな人や恋人ができればそれで終わる。少しは私は寂しく悲しだろう。それでも理性を忘れることなど私はしないだろう。正当な理由づけによって私は支えられ、友だちを忘れ、しまうだけだ。彼氏作らないの?とか聞いてくるの、ほんとウザい。私は話をする相手の人がいてほしい。

 

今日は朝から大雨。よりによって外での車の仕事。湿り気がすごすぎて、いつもと素材の様子がだいぶ変わる。それはそれで面白く、紙ものの素材の変容ぶりが生々しい。お昼に五右衛門のスパゲティ。会社で足をマッサージしてもらって、左足の内腿がかなり痛かったので左の腰が痛いのはここから来ていたのかも。土曜も出勤することになる。洋服が欲しいので少しくらいは稼がないといけない。Tシャツを1枚買うか2枚買うかで連日悩みすぎている。アホらしい。DOMMUNEで山谷祐介さん、宇川さんがいない中、ご本人が司会進行もつとめていてなんだかすごい。さらにドラムプレイまでした。かなり面白い人だなと思う。思うけど、なんか、例えば夜中の住宅街を赤外線カメラで撮るとか、そんな夜中に一人で出歩くとか、自分にはできないなあとか思ってしまう。女の自分にはそうゆうことに危険を感じてしまう。とはいえそんなことはどうでもよくて、そういった表現があるということは見えていない目を歩くようだ。そういったことは、別に、決して、真夜中の住宅街を歩くことでしか見つけられないわけではないのだ。