今日は会社にひとりだが、久々に仕事がうすく、午前中でだいたいやり終えてしまう。Amazonで途中まで見て返却してしまった黒沢清の散歩する侵略者を見る。でも見終わらず。黒沢作品のなかにある奇妙さ、それはいつも存在している。それは映像の中、画面の中にしかいないのか?いや、こちらにもある、という気にさせられる。午前中からラジオで速報で流れてきていた京都アニメーションの事件が、どんどんひどいことになっていく。帰ろうかという頃にすこし頭痛の気配。バゲットを買い、その他もろもろ買い物をする。水も買う。この水をはじめとした重いものをもつこと、駅から家まで徒歩15分を歩くこと、エレベーター使わず4階まであがること、なんかも大胸筋に効いているのか?と思うが実際はわからない。帰宅してブリ大根を連続で食べて醤油には飽き飽きだと思ってきのことじゃがいものグラタンを作る。ついでに胸肉で蒸し鶏もつくる。グラタンの味付けにはなにか足りてない。京都の死者数が伸びていく、いったい、どんなふうに33名の方は亡くなっていっただろうか。話を聞くことはできない。ツイッターでもこの話題、か選挙かの話が多くを占める。私はアニメに疎くて会社名は知っていたものの作品は全然知らないのだが、もはや会社の事業が問題なのではないし。色々もやもやとする。
何人もの人がいっぺんに死んでしまうことに触れてわき上がるこの気持ち悪さ、受け入れがたさに頭がぼうっとする。人はこのように人を殺すことができてしまうし、また人はこのように殺されてしまいもする。あまりに簡単に一度に多くの人が殺されていく事件が続いていて、でもこれが自分の地続きの世界か
— きゅー (@qyuu) July 18, 2019
恨みか、憎しみか、怒りか。私は20代のころ2、3年怒りのパワーに満ち満ちていてあの時ほど辛く絶望ばかり、それしかなかった日々はないように思う。まあこの先またあるかもしれないとしても。それをどう終息させたかといえば、なんだかんだ家の中で暴れて発散させて出るものもなくなったのかなと思うが
— きゅー (@qyuu) July 18, 2019
怒りとは。それはちょっと退化したようなものの感じがある。退行か?正義などそこにはなく、ひどい自己欺瞞がある。でもなあ、それってほんと手がつけようがなくひどくて。その怒りはいったいどこから来て、どこへ葬ればいいものなのか、自分でももう詳しくは忘れてしまった、思い出せない
— きゅー (@qyuu) July 18, 2019
人を殺したいというか、自分の身にあり余るエネルギーを放出したいということなのか。人を殺したいなんてものは、あるのかどうか。殺意というのははっきりとした個人相手じゃなくても持ち得るものかどうか。本当に殺したいほど憎かったものはなんなんだろうな
— きゅー (@qyuu) July 18, 2019
犯人の動機などはわからない。けれど、それは全く知らない他人なのか?どうなのだろう。