液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

群馬の美術館へ行こうと思うもやっぱりかったるいかもと考え始めてしまうとだめで、結局電車とバスの乗り継ぎが悪くなった時間で諦める。あほくさい。そうだ図書館に行って雑誌を読み込もうと思っていたはずだったじゃないか、と思い出してとりあえず出かけることに。でもまずは大宮のそごうに行ってナルエーのパジャマを買う。迷ったけど青のチェックの綿でショートパンツのシンプルだけどレースがついててかわいいものにした。クーラーつけたくないのでパジャマの涼しさと快適さは大事、と結局行き着く。結局この夏はナルエーでパジャマ2着を購入。3000円くらいで買ったパジャマは綿とポリが入ってたからか着心地が微妙で色も紺にしたら毛玉がわかりやすく出てきて着る気を失ってしまった。無駄遣いした。

ロフトで化粧品なども買う。うろうろ。そういえば昼を食べていなかった。エキュートで蒸しパンと飲むヨーグルトを買ってホームのベンチで食す。あっという間にとりあえず腹を満たせれば良い。お腹の音が出なければ良い。浦和の図書館へ。このでかい図書館が近所にあったらなあとただの夢想を考える。ほんとはアサヒカメラのバックナンバーを読みたいと思っていたのだが、あれ?ないな?他のカメラ誌ならあったので、単なる思い込みだったようだ。むうん。しょうがないのですぐそばにあった美術手帖の塩田千春特集を読む。結構面白くて、へえ、と読む。こないだ近美でもわりと初期?のビデオ作品があったのでそれについても詳細が書かれていた。浴室で泥水に浸かり手でその泥水をすくっては拭う。もちろん泥が取れることはない。その手、指の隙間からうかがう眼。皮膚にまとわりつくというか、染み付いているかのように、一体となっているかのようにまとってしまっている泥。それはシンパシーを感じるものがあった。自分にとってはそれはまるで涙のようなものどだと思った。もし学生の時にこの作品に出会っていたらそれはもっと強かったかもしれないし、影響を受けてしまったかもしれない。それほどに思った。ずっと読んでたら頭痛がしてきた。夏は毎日のように頭痛だ。帰ろうかなと思うも、そういえばと思って文芸誌のすばるのバックナンバーを探す。確か少し前に金川さんのエッセイが載ってたはずと思って。金川さんのお父さんについての文章で面白いなと思うのは(写真集の日記でまず思ってたこと)とてもちまちまとああだろうかこうだろうかとまるで推理していくみたいに筋道をたどっていくのだけど結局わからない、といったところにたどり着くところだ。私はまずそれに好感を持った。わからなさにたどり着くための思考が私は好きなんだろう。冷静さと冷淡さは違うものだが、人の心の中でそれらはからみあう。ひとの家庭や親子関係というものは、自分とは全く別物でありながら似たり寄ったりでもあるような感じがするのが最近は不思議に思っている。最後の最後に金川さんが自身のことを書いていて、それはこないだ聞いた話のことだった。面白いなと思った。なんか、最後。得体は知れないものが立ち上がった。

坂本さんのチケットが先行予約で当たっており、なんとなく2枚で買っており、そうだと思って、いや前々からそうだと思っていたのか、ツイッターでフォロー関係にある方にDMで連絡を取ってみる。私はずっと、ネットで知り合った人に実際に会うとかってなったときいつも声をかけられる側でしかあったことがない。自分から声をかけたことはないはずで、それはいつも受け身で来たってことだよなあという思いがあった。なんかそれもそれだけではつまらない気が年をとったせいか、してきた。音楽などの趣味が合うとか、好感を持てるとか、書いてることに信頼ができるとか、そういったことを感じられる人などというのはそう多くいるものでなく、ツイッターでも音楽の趣味が似通っていそうな人だなと思ってもフォローまでする人は少ないものだ。どんな風に書かれるか、書かれるものが出てきているのか、といったことが自分には気になってしまうのだろう。そういったことがより実感としてわいてきたようなところもあり、知らない人を知りたくなってしまったりするのだろう。今度行くライブでチケットをお渡しすることになった。