液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

午前11時から「ホフマニアダ ホフマンの物語」を写美で見る。前々から見たかったものの見逃し続け、ようやく。あまり内容をわかってないで見てしまって楽しめるのかどうかというのは気になっていたが、まあその予想はその通りの面もあったし、いや初めて知るものごとの世界であっても魅了されてしまう造形、物語のある世界だった。チケットを買った時に登場人物たちの相関図をもらったのでそれは事前に読み込んだ。誰が誰だがわからなくなりそうだなと思って。でも結局主人公のエルンスト/アンゼルムスがどっちがどっちだかよくわからなくなったりして、うわ私だめだなーと思いつつ区別してみることは諦めていや結局どっちもでひとつなんだと大雑把な気持ちに徹した。でもそれで困ることはなかったし、そこに気をとられることもなかったのでよかった気がする。しかしほんと狂気的なほどに髪の毛一本一本がばらばらになびいたりしていて、うわコマ撮りアニメーションってほんと狂気、狂気の人が世界には一定数いるのだなとうなる。人形はもちろん衣装も美術も貫通した魅力を備えていて、できればもっとじーっと見ていたいような気持ち。写美のホールは見やすいけど空間が開けてすっきりしているので映画館のような迫り来る圧などが物足りない。想像世界での展開は微妙についていけない突拍子さなどありつつ、ひとつひとつの部分は古典的な物語の要素といった感じがあって、すでに知っているという余裕と私が知っている前からずっと知られている、もしくは知らなかった、知っていることとは違ったけど知っている気になれているというおそれが入り交じったりした。蛇という動物ひとつとっても国や地域によって伝説や言い伝えとしての象徴の役割は違うだろうし、あ、こうゆう扱い方をするんだな、というのがしかし色んな物事からの情報が自分には入り混じっていて自分がもともと持っていたイメージが何、どれだったのかよくわからないなと感じる。そしていつの間にかその最初のイメージ(子供の頃に最初に見知ったもの)は消え去っていき後からこうして見ていくイメージに更新されていくような気がした。蛇は怖れか、畏怖か、美か。そのように多面的なイメージを持ちうるものはそう多くあるわけでないと思うが、それだけ見る人に様々に違う印象を与えられるのだからおもしろいな。最後の大円団みたいなものより過程ひとつひとつがやはり良かったかな。子供時代や機械として作られた少女のエピソードが印象的。

同時上映のマイリトルゴートが想像をかなり裏切られてなかなか怖くて、怖さというものに対する新鮮みがあった気がする。前から知っている物語のはずなのに、あれ何かちょっと違う?という違和感、その違和感にどこか一層の奇妙な気配を感じ始めてしまうのだ。ちょうどセリフの切れ目のところで前の方にいた小さな男の子がいやだよーこわいよーと声をあげたのだが一瞬それはスクリーンのなかの声かと思ったほど、ちょうどぴったりでもあった。始まる前に男のがいるのを目にしていたから、あ、違う、とわかったけど。そのあともやだよかえりたいよ〜と言っていたのでそのままお母さんだろうか、抱えて出ていかれていた。確かにその気持ちわかる、わかるっていうかほとんどみんな思ってたけどみんな黙って口にしてなかったことだ。それをよくぞ言ってくれた!という気持ちでもある。すごく良かったな。ヤギの一体化フォーメーションはひつじのショーンだよね?!ということを誰か同意してくれないかな、いやでもあれ絶対そうだよなあ、そうでしかなかった。そこだけ笑えてほっとしたけど最後の最後まで秘められた大人、子供のそれぞれの意思があり、10分ほどの作品でこんな風に濃密にコマ撮りで作り込めるんだという驚きがあった。

それから三越の地下でカレーをたべる。ファミリー層ばかりだし、みんなおよそリッチそうで私は場違いというか異質かも。でもカレーおいしい。そのあと写美でまた展示見るかどうか迷って、いや、ベンチでぼーっとする。今日は下の広場で何かイベントをやっており演奏ステージもあった。昨日の展示のテキストや持ってた文庫を読む。上の広場でやってたマルシェは場所を移動してなのかな。花屋さんで買う。

渋谷のアップリンクで火口のふたりを見る。

ツイッターでは結局文字数の中でまとめてしまっているから貼り付けてしまうと色々削がれてしまっているものがあるとは思うけど、でも削ぐことでそれはそれで率直に感じていたものがむきだされる気もしたりする。色々見てしまうと影響を受けてしまい自分が本当は思ったり感じたりしていなかったものをいつの間にか取り込んでしまっていたりするから危険だなあと思う。自分が感じた違和感はなんだったっけ?どこだったっけ?というのを覚え留めておくのは結構注意してないといけない。私の場合は。