液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

殺された遺体のニュースを聞くと、うらやましく思う自分がいる。私もそのようになれたら良いのではないかとふいに思いを寄せている。そのように扱われることが、なぜかどこか羨ましいということなのだろうか。老化して、病気になって、事故にあって、死ぬより、誰か知っているのか知らない人なのかに不条理に殺される分割されぞんざいな扱いを受けてモノと化した自分の死んだ身体の方がなぜか親近感を覚えてしまうような気がする。事故にあってバラバラになる、変化してしまうことも想像する。そのまま死ぬのか、助かるのかがわからない。電車のホームで入ってくる電車の前にとびだし、衝突したらどれだけ飛び散るのだろうか。ッパーンとはね散るのか。しかしひどい迷惑を人にかけるなあと思うので現実味がうすい。もののように扱われ終わる、終わった身体のことを結局はものとして見れるから親近感を抱けるに過ぎないのか。身体でなくなりたい、分節されたいのか。こっぱみじんになるのは望んでいない気がするのだ。人はみなこのような夢想をしているのかしら。