液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

ときどき、日記でこれを書こう、今は時間もないしまだまとまりとして上手くかけないから下書きで書いておくけどあとでまとめた形で書こう、と思って下書きで書いたメモみたいなものがちょこちょこあったりするのだが、結局それらは埋もれたままになっている。日記が毎日に全然追いついていないので、そんなメモみたいなものを拾ってる余裕もない。だがもうそれでは全然ダメだな、日記になってないし。だから書いてない日があったとしてもそれはあとから書くとして先に今の今日であげてしまえばいい、と思うがそれをしてしまうと書いてない日を書かないまま終わってしまうというどうしようもなさがある。要はなにをやってもだめ、どうやってもだめ、やりたいことやるならきっちり毎日毎日で日記をつけるしかない。まあでもふんわりで書いてもいいか、と思い始めたターン。あれ、しかし、こんなこと書いてたら書こうと思ってたことを忘れてしまった。だめすぎる。

風が強くて窓を少し開けてるだけでも窓サッシは揺れに揺れてガダガタと音をたて、室内に大きく風を運び入れている。一応その風で壊れるような部屋ではないが建物が揺れているようではあり、こんなに勢いよく大量の風が入り込んでくるとまるでごそっと違った固体に入れ替えられるみたいだなと思う。部屋という外側だけギリギリ同じで。これで部屋が膨張しないのが不思議なものだ。違う部屋になってしまう気がする。なにかSFぽい。

あいかわらずオウガの新譜についてよく考える。昨日本屋でミュージックマガジンを開いてちょっとだけのインタビューを読んだ。他でも似たようなこと言ってた気がする、という程度なのだが場を変えて繰り返し見聞きするというのには確かに違う効果が生まれるような。一曲一曲で作ったものをまとめたアルバムということでそのことへの不安と、いやわりといけた、という感じはあっけらかんとしているような、それは自信のようなものなのか。また印象的だったのは動物的/人間的はシングルで作った時は残る多幸感みたいなものがあったがそれがアルバムに入れる際には変わったと。そういえばちょうど、動物的/人間的のシングルのスタンダードバージョンを聞けたのって去年の野音のときだけだったのか?と思っていたのだった。年末のワンマン行ってないからそこではどうだったのか、があるけど。野音ではたしかスタンダードにやったんだった気がする、たしか…。あの時が初披露だったろうし。そういった変化を作品で地続きに発表できるというのは良いなあと思った。そうだこのことを書きたかったんだった気がする。

三連休はどこかに出かけたり見に行ったりする気が全く起こらず、起こせず、池袋の東武の北海道展に行ったのとユニクロに行っただけ。先週が連日出かけたのに加えその後もまたライブ見に行ったりとまんぷく気味になったこともあり、インプットするのも対応しきれない気がした。なので本読んだり、とにかく日記を書いた。書いてると、書き出すと止まらなさがある。書けない、うまく書けないんだよなあと思いながらも書くと詳細を語りたくなってしまったりする。本をもっと読めるようになりたいし、読んで、咀嚼できるようになりたいんだが。

今日の昼ごはんはオーマイの冷凍食品、夜はバンバンジーにそうめんの一体化。練りゴマを買いに行くも最寄りのミニスーパーではあらず。ネットで見てると結構練りゴマ使わずすりゴマでというレシピもあるが、きょうの料理のサイトに載っているレシピではほぼ全て練りゴマだった。やっぱそうゆうところでプロの料理家は違うんだろうなと思いつつ、すりゴマで作っても美味しかったので余らせて冷蔵庫に眠らせるよりは断然良い。きゅうり一本を一食で食べてしまうのはどうなんだろうと思いつつ、ミョウガも入れて、良い分量。タレが余ったので明日もバンバンジーになるか…

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