土曜の晩に、母からの電話。今さっき父方のおばあちゃんが転んで、手術をすることになったとかいう話と、明日の美容院の予約の話。あ、そうなんだ、って感じで電話を終えて湯船をはったお風呂に入った。出ると、母からの着信履歴が10分ほど前にあるので掛け直する、おばあちゃんはくも膜下出血で手術をするという話になっていた。そして美容院には私の後に母も予約入れてるって話をされるが、聞いてないんだけど?私は美術館に行こうと思ってたけど?と思いつつ、抗う気持ちもない。くも膜下出血ってそれ死なないのか?など思いつつ明日が早いのでジャズトゥナイト聞きながら寝る。全然聞いてない。朝になって、母から美容院の後病院にいかないとならないというメール。最後になるかもしれないからとのこと。急な展開。しかし詳細などが一切わからない。わからないのでイマイチ信用もしきれず。

美容院でカットと毛先のパーマをお願いする。短くしたらこんなにクセがあったのか、と驚愕した。サラサラになり、随分まともそうな人になった。終わる30分くらい前に母からカットとカラーで予約してたのをカットだけに変更するよう伝えておいてとメールが来た。相変わらず詳細はわからない。美容師さんにそのまま伝えた。しかし私はそれだけで嫌な予想をするしかなく、自分の顔がゆがみ、引きつりはじめているんじゃないかと思えてきた。しかし、美容院にいる私はメガネを外しているので自分の真正面に据えられている大きな鏡に写っているであろう自分の顔を一切見ることができていない。ただ、顔の筋肉が少しおかしいんじゃないかって気がしただけなのだ。それは気持ちの動揺なだけだろうか。なんとかそれを取ろうと思うが、へばりついてて外せない気がした。まあどうせ元から整っているわけでもないし、所詮その程度の顔だ、と諦めることにする。美容院を出て、少し歩いたとこでちょうど母に会う。そこのスタバでお茶飲んでるから、とだけ会話を交わす。相変わらず何もわからないまま。スタバで1時間ほど、持ってきていた本を読むこともなく過ごす。消費税が高い。なんだよこれ、と思う。忌々しくてしょうがない。

母と落ち合い、歩きながら話を聞く。父は昨晩病院に車で向かったのち、手術が終わってから夜中に帰宅して、また病院に行くらしい。もう長くはないこと、もう意識が戻ることはないと言われていることなどを聞く。もっと長生きすると思っていたけど、と母。とりあえず昼を食べようってことで茨城のアンテナショップのレストランで悠長に食べる。思えばこの時から私自身は何かバランスを取ろうとし始めていたのだろう。そんな簡単に暗くなり、悲愴なフリもできない。そんなこと言ったって、簡単に死ぬわけないと、自分がへらへらとすることで、思いたかったのかもしれない。

食べ終えて、東十条駅で姉夫婦と合流して病院へ。子供の頃、東十条にピアノを習いにきていたわけだが、子供ながらここは下がった場所、多分坂を下ってきてたんだろうからそりゃそうなんだろうが、なんか湿ってるなあって感じは受け取っていて、その感覚がまるで沸き起こる。でも子供の頃はもっともっと暗いところってイメージだった気がする、というくらいには商店街などは明るく和やかだった。

病院に着くと、マスク着用が必須で、もちろん誰も持参していないので2個で100円というマスクを買う。ナースセンターのすぐ隣の小さい個室がおばあちゃんのいる部屋だった。ビニールカーテンを開けて中に入ると、そこで横たわっているのは私の知らない人だと思った。その時の衝撃、驚き、受け入れがたさが忘れられない。眠っているからだろうか、そのせいもあるだろう、私はおばあちゃんが眠っているところなんて見たことがないし、人が眠っている姿はあまりにも無防備すぎる。けれどそれにしたって、この人が本当におばあちゃんなのか?え?全然違くない?と私は言いたかった。言える雰囲気ではなかった。白髪の混じった髪の毛は一切顔にかかることもなくおでこから上へと流されている。いつもの髪の毛は整えられていたのだ。化粧っ気もほぼない。表情がない。シミは、このようにして以前から存在していたのか?なぜ今まで見えていなかったものが今ここで見えるというのか?やはり私はこの顔を知らないと結論を出さざるを得なかった。証拠がない。私がこの人をおばあちゃんだと思える確信はなかった。ただ父とおじさんがこの人を自分の母親だと指しているから。それだけでしかなかった。父が、もうこれが最後の時間だから、とか言ったようなことを言った。私はそれを聞いて涙が出てしまった。おばあちゃんの今これは、寝ていると言うのか?意識が戻らないと言うのはどういうことなのか?今こうして本人の身体の前にいるのに、これは会っているというのか、会っていないのか。人工呼吸器だけで生きながらえている、外せば止まってしまう、じゃあ昔ならもう息をしていないのか、など考える。そういえば病院に入るとき、病院の匂いがして、いやだ、とつい口に出た。母にしょうがないでしょ病院なんだからと言われた。その病院の匂いはだって、おじいちゃんのお見舞いに行った時の病院のいやな匂いと同じだった、そのことが私には思い出されていた。父方のおじいちゃんの後母方のおじいちゃんも入院して死んだし、父が入院した時にもどこでも同じく病院の匂いはしていたが、それでも私が初めて病院の匂いというのを感知した時の経験が鼻腔から引き出されるとは。

おじさんから転んだという時の詳細などを聞く。ずっといてもしょうがないので、帰ることに。父と母と姉夫婦とでドトールでお茶をする。家とかアパートとか相続の話とか現実的な話など。このまま一人の部屋に帰っても暗い気がしたので、新しくできたというコレド室町の新しい商業ビルに行ってみることにする。JRの神田駅から歩いて7、8分で着いた。中は人がたくさんいたが、この賑わいがこの先ずっとどのように維持されうるのだろうか。なぜこんなにも商業施設は次から次へとできるのだろうか。友達の誕生日プレゼントを探そうと思っていたんだった。台湾の石鹸などを扱うお店で、プレゼント用の石鹸と、なぜか自分用のハンドクリームを買う。3800円は明らかに高いが、なぜか、まあいいやと買っていた。今になれば全く買う必要がなかったと思う。後悔するという後悔。でもなんだか店員さんと話をしていたらそれだけで自分のテンションがおかしい気もして、買う勢いにのってしまっていた。そう、あとから考えればこの時点でも十分におかしかったのだ。

花屋で千円程度に花を買って帰った。それから私は大泣きしていた。そんなに堂々と無邪気に我を忘れてまっすぐに泣けることはもう滅多にないことだ。けれどそれはこわさから来るものだった。私はただ怯えていた。だから、泣いたってなんの快楽も解放もない。泣きながら泣きながら、少しずつ自分の頭の中で整理していた。それでも泣くことが止められなかった。どんどん気持ち悪くなってきて、精神的にきつくなってきた時にやってくるげっぷ症状も始まった。このげっぷ症状そのものが昔を思い出せてくるのでそれもまたつらい。なぜ身体はこんな事を記憶しているんだ、この身体の記憶が消えないことが、捨てられないことが、自分を自分に忘れさせないという呪縛そのものだ。崩壊するように泣きながら、自分に一体何が起こったか、ふり返り、つなぎ合わそうとする。ああ私はこわかったんだ。猛烈に死がこわかった。おばあちゃんがおばあちゃんじゃなかったことに私は強く動転したのに、その事を口に出せずつぐんでしまった、スルーしてしまったから。それがなんなのかわからなかった。それをそのまま持ち帰ってしまったから。泣いても泣いても癒しはなかった。居心地の悪さが高まるばかりで、誰かに話をして頼って楽になりたかった。でも誰もいなかった。わかっていた。とりあえずこの今を書いておかなくちゃと思って、メモに残した。それから少し寝たらしい。起きてもまだ気持ち悪くて、まためそめそと泣いていた。私は何を読めばいい、聞けばいい、見ればいいのか、急に、何かに頼りたくなる。

 

 

死を前にして他の誰かの死を思い出している

死がこわい、死そのものが

死ぬとわかっていて、死なないという設定を築いている

死ぬからって死ぬ想定で関わることはできない

今生きているなら生きているように扱い対峙しなければならない

そうしないと生きていけない

生きるためには死は必要か

死を受け入れたくなさがある

死ぬことは当然だ

まだ死んでいない、これから死ぬ体

たましいが、ぬけていってしまう、いなくなってしまったら、もうおわりなのか?

たましいが、いってしまう、そのとき、そのとき、それでも、そのからだを、わたしは、知っていると言えるのだろうか、その体の人を、そのひとと、わかるのだろうか

病院で、その人がおばあちゃんなのかどうか私は分からなかった、まるで、知らない人だった

私は、知らない

そのような無責任さ 

私に似ているというそのおばあちゃんの顔が私にはわからなかった

眠っているというのか?これは

意識とは?

意識は、どこへいってしまうのか

あった意識は、どこへいってしまうの

いなくなってしまうの?

こわい