液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

朝7時半頃、母から電話でおばあちゃんは5時半ごろ亡くなったと聞く。父は2時半頃に病院から電話があって出て行ったとのことだから、看取ったのだろうなと思う。そういえば両おじいちゃんも朝方亡くなった知らせがあったんじゃないっけと思う。なぜだろう、老人は朝方死ぬのだろうか。しかし私はほっとするような気がした。いや、ほっとすればいいのか?と思ったのだ。違うかな、どうだろう。いやでもほっとしていいのだと思った。はっきりと死んだのだ。そのことに私は恐怖を覚えなかった。日曜のあれは一体なんだったのだろう。

台風が近づいてきているので、連休の名古屋行きが心配になる。そしたらおばあちゃんの葬儀がカブってきた。でも母がお通夜は出なくてもいいよと言うので、印象悪くない?と聞いたら、誰に悪いの?気にしなくていいよと言うので、それならいいか、一人くらい空気読んでないアホがいるのも必要だろうと思うことにする。チケット屋で新幹線のチケットを買おうと思っていたが、JRが動くこと自体怪しく、まだ買わないことにする。

あいトリで一緒にパフォーミングアーツを見る約束をしてある友達に連絡を取る。約束したのが2ヶ月前か。ちょうど不自由展が展示中止になった頃だ。どこで何時ころ待ち合わすかなどをざっくり話す。なんかいまいちはっきりした事を言わないのが相変わらず、ずっと相変わらずで、うん、とだけ返してくるのとか、子どものままなの?と思う。でも結局その友達と会話している私自身もまるで子ども、子どもの会話みたいなものだった。悔しいので、スンとした態度で貫き通した、つもり。

最近あまり展示などを見に行く気力を持てないでいる。夏は特に頭痛が頻発するし、今は生理前だから体力温存などの理由もあるけど、何かを摂取する事、しようとする事がこわくなっているような。見ることに興味を失ったのかもしれない。あいトリ行くまでに読もう読もう思いながらスルーしまくってきた東浩紀の本を2冊読み終えたいので、それを必死に読んでいるのもあるが。

母の誕生日とおばあちゃんの命日が同じ日になったな。父方のおばあちゃんとの思い出はろくにないので、それらが象徴となり印象的だ。