液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

仕事を終えてまたも雨が降ってるんだか止んでるんだかの先週と似た天気の中、スガダイロートリオを荻窪のベルベットさんで見た。あああああほんともっと早く早くに見るべきだった、それはそうわかっていたのにそうしなかった、そのことを悔やんでやまない気持ちとそれはできなかった自分を否定しきることは本当に可能なのか、という思いでとりあえず現状を受け入れるしかない。ちょっとまだ言葉に断定しては残せないという気持ちはあるのだが、革命のようなものを感じてしまう。思えば初めてジャズを見たのは04年のエマージェンシーだった、そのライブはとても興奮するものでそれがなかったら芳垣さんのファンにもなってないわけだがそこからずっとジャズのなにが面白いのかなんてまるでわかることができない気がしていた。それでも芳垣さんがいたから、やってるからなんとか耳にする機会を持ってきた。わからないなりになんとか知ろうとしたり、聞こうとしたりした。それでも遠いなあという感覚がぬけなかった。けれどまあ去年ONJQを見たあたりからちょっと変わってきたなという手応えはあった。でもそれも芳垣さん水谷さん大友さんというエマージェンシーのメンバーがいる効果なのかと思わざるもえず。スガさんのピアノは何度か見ていて良いなあと思っていたけどどうファンになればいいのかわからないみたいなものもある。ファンになるにははっきりとしたきっかけを掴まないと、掴みにいかないといけない、みたいな感覚だろうか。んんしかしもはや何を言っていてもそれは前の話だ、後になってしまった今になってそれを語るのはもはや陳腐なのでは。本当はこの前の日だったかのスガさんのソロ@ピットインも行きたかったけどお金そんなに使いすぎるのもという抵抗があり、また、自分にはそんなにいっぺんに沢山を摂取しようとすることにまず抵抗がある気もする。好きになってしまうことはこわいことでもあるからなあと思う。飢餓感も大事、とか言えないこともない。いやでもやっぱ見にいくべきだっただろう。季節はただ流れて行くの全曲演奏、聞きたかった。でもなんかこわい、これはこの構図は考えてみたらよくあるやつだなと気づく。気になる、惹かれる音楽ほどこわいのだ。こわい、という感情を抱くことでとる距離感が発生する。それは自分にとって結構必要なこととは思う。その過程を経ないとっていうのが10代の頃の自分から変わっていない。好きになるのに、惹かれていることを認めることや受け入れることは簡単じゃないのだ。そうゆうことを突きつけられるくらいには今自分がすごく好きになれる音楽に出会えた嬉しさ、楽しさがある。もはやジャンル名などどうでもよくなった。その気持ち、興奮が先走りしていて突っかかってずっこけてしまう勢いで、全然言葉にして言えない。心臓がはねてしまっている。