液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

おばあちゃんの49日の法要が朝からあった。駅で母と待ち合わすが、ハワイの旅行ぶりで会うためお互いその時の重たさを引きずっているのだった。少なくとも私はそれをぬぐい去りなかったことになどできないのだった。平気だと思っていた気持ちが、顔を合わせただけで一気に引きずり下ろされ、露呈される。父に至ってはほぼ一度も視線を合わさなかった気がする。まあもともとそんな感じ、いつも通りとも言えるので大して気にはならないが。姉は出産間近ということで欠席らしい。小学生のいとこだけが若く、また、誰だかよく知らない親戚という人たちがいた。街中ですれ違ったところで気づくこともないだろうに、ここでは挨拶を交わす、よくわからない身振りの挨拶を。そうゆう自分の身体があまりに不自然で気持ちが悪いと思う。そんなことをするくらいなら、紫のスーツを着たジョーカーのように軽快なステップで登場したい、その方が自分には合っていると想像する。私の身体はそちらむきだと思う。そう、過去に決してそういう事例がなかった訳じゃないのだから。一通りの儀式が進む。なにも、自分には訴えてこないものだなと思うと自分が死んだらこれはごめんだなあと思う。あつらえられた場所も道具も動作も、全てに意味合いはあるのだろうが、自分には全然馴染みがない。これならキリスト教の方が、まだ、というより断然、馴染めるのではないかという気がしたりする。でもまあそんなのも適当な感覚で、所詮どんな宗教に接しても自分はここにいて良いのだろうかという所在なさと無作法な自分の所作のおかしみに耐えられないのだろうと想像する。両親とは特に会話らしい会話はせず、する必要もないくらい適当なかんじでのりきれてしまう家族というこしらえられたつながりをうさんくさく感じつつ、昼食を断っていた私は足早に去った。はやく去りたかった。自分のいる場所ではないと感じる。自分だけが異物のようだ。

モスでお昼を食べて銀座へ行き美容院でカットとカラーをしてもらう。最後にカラーしたのが7月なのでずいぶんだ。1時間半ほどだったが、シャンプーしてもらっていたらそれだけで眠くなってくるのはいつもだがどんどん体がだるくなってきて足が重くなってきた。目が二重になって顔面がすごく疲れる。眼鏡をしてないぶん、なにをどう見て、というか見えてないんだけど、どこに眼球を置き、向けていいのかわからなくなるのが疲れるのだ。しかしカラーもカットもとてもよい感じにしてもらったのでありがたい。ありがたいがすごく疲れた気持ちになってしまい内心は申し訳ないような気持ちも襲ってくる。ロフトに行ってラップを買い、すこしぶらついてケーキでも食べたいと思うがキルフェボンもハーブスも混んでそうだと思うと買って帰るのも面倒だ。結局帰ってきた駅でリンツのソフトクリームを奮発して食べた。上品だ。でもおかげてすこしすっきり。家に帰ってほっとしてつらくなり寝た。起きていだてんを見た。作ろうと思ってた夜ご飯を作らず、残り物で簡単に済ます。