液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

なんとなく気持ちが落ち込む。昨日の夜現場で今日は少し遅いスタートだったけど、そうゆう風にいつもと少しでも時間感覚が狂うと楽なようでいて楽でもない。帰りもねむたい。もう明日は仕事も全然行きたくない。とはいえ明日はダムタイプ見に行くので早めに上がらせてもらう訳だが。何か楽しみというか、希望がないとやりきれない。ろぼはまだ再来週だった。とおい。早く死にたいと思いながらも早く死んでいかないのは卑怯なのではないか?という疑問がわき起こる。今、映画ジョーカーのサントラをヘッドホンで聞き始めているがこれは音が低すぎる。

おととい見た坂本さんのライブはやはりとてもよく出来ているものだった。最高とか完璧とかいうものでもないが、圧倒的に落とし込まれるものがある。去年の1月、だからもうほぼ2年前の初ライブ、初ワンマンのリキッドの時ですでにその何か他とは違う異様なムードといったものは感じていて、それはあの日あの場所に会場全体から生まれてしまったものとしての総合性がでかいとも思っているが、今回は明らかにバンドとして、音響や照明や映像といった見せる側の合致から表現されるものが広がりを持ち、深くなっているように感じた。その体験に、リキッドを更新していく上がった段階を見たように思う。良いとか悪いとかの判断でさえない、もっと、この表現に対してなにを感じられているのかを自分の中で直接的にあらわにさせられる、ような。良い悪いといった判断はもちろんできるだろう。けれど、それよりもっと単純に率直に、それでいてなぜか裏返って隠れてしまう、隠してしまう自分の戸惑いや恥じらいが顔を出したり引っ込めたり、その捉えられそうで捉えられなさ。良いものを見せられるであろうとことはぬかりなく信頼していたが、完全にそれの何層も大きいものを見せられてしまったなあと思う。けれどまだ余地があり余白があり、よくできていると思うのに未完さを感じさせてもくれる。手応えがあるわけでもない。ない、ということでしか語れないのは確かなものがあったから、だろうか。そうそれはすごくはっきり感じていた。あの人たちは存在も音もすごく確かで、こんなにはっきりと実存を示すことがあり得るのかと、ちょっとした驚きを感じていた。

ホールの椅子席で見るというのも嫌いではない。足でリズム取りづらいのだけが難で、緊張気味に固まっている体も次第にほぐれていく。その自分の身体の変わっていきようは落差があればあるほど面白い。そうゆう時は安易ながらその徐々に気持ちよくなっていく感じ、身体が変わっていく感じがセックスに似ていることを思い浮かべている。自分の身体が変われることはいつもとても面白いと思う。決して多くのどのライブでも起こりうることではないが、ワンマンという長い時間をかけて生成されていく時間や空間、その変化に自分の身体もうまく適合できたというような時感じられる快感は言葉にならないなあと思う。でも例えばろぼはセックスというより運動って感じでセックスが運動ということもできるかもしれないけど決してそこでろぼとセックスはイコールにはならない。それはまあ体の準備体操的な面からして違うかなって感じだけど。

まあとにかく坂本さんのライブはやはりワンマンがすごく面白い。時間、というものをこんなに感じることはないかもしれないと思う。あとはまあオウガもやはり似てるかなあと思うけど。大きな規範の時間という枠、1曲という時間、1曲と1曲がつながっていく時間、瞬間にしかなく、後と前にある時間、過ぎ去り未来に到来するであろう時間、全ては過去になるのに何度でも繰り返される時間、音楽の時間、そういったことを時間が過ぎ去っていくさなかでイメージとしても触感としても提示されている気がする。ああ全然言えない、感じていることがまるで全然言えない。自分でも全然よくわからないのだ。口が動かせない。もごもごごおごもぐもぐ。