液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

午後から大宮で現場。学会の仕事は今は滅多に入らないので小さい規模とはいえなんだが探り探りでぎこちない気もするし、とは言え大概の流れのことは理解できてるのでそれなりに動ける。でもやっぱり細かなとこまで気がきくようなことはできない、もはや忘れていて、自分の能力のイマイチさを感じる。まあ時間などの余裕もあるしかなり簡単な現場ではあるけど、でもそんな内容でさえ自分はこんなものか、と思うとパッとしないものだ。あと重いもの持つのは単純に耐性がなくなっててつらいな。腰がついていかない感じだ。明日も夕方から仕事。

日も暮れて現場終わりであさいさんと別れ実家へ。大して暖かくはないが膝まであるダッフルコートを取りに行く。父だけいるだろうかと思っていたら父はいなくて母がもう帰宅しているということを鍵を開けて入った玄関で確認する。私の部屋は玄関入ってすぐ左、リビングは廊下の先、ふだんから帰ったことに気づかれないことはよくあった。だからそのままにしようと思ったし、決めていた。コートと、あといくつか本を持っていこうと思っていた。しかしこないだまとめておいたはずの本がなかなか見つからない。私の部屋は猫の用具やしょうもないゴミみたいなものたちで散らかされているまま。そのなかで本が見つからない。こうゆうような状況は子供の頃から苦手で、なんでどうしてなんでどうしてともやもやして仕方がない。猫が1匹、ドアから部屋の中を覗いていた。大きくなったようだ。私のことなんて覚えてなさそう。母が猫を呼ぶ声がしている。廊下にまで出てきているが、それでも私の部屋の電気がついていること、玄関に私の方々あることになんて気付きはしない。特に物音を立てなければそれで気づかれないだろと私も思っていた。母はそのままリビングに戻っていった。見つかったら見つかっただが、わざわざ姿を見せる必要はないと思っていた。そこでかわす言葉もないだろうと思った。むしろ苦しい。ああ、とか、うん、とか、そう、とか、何かを言ってるんだかなんだかわからないようないかにも気だるそうな相づちをするだけだろう。ハワイから帰ってきて以来、法事のことでメールした以外はもう一切連絡は取っていない。私も頑固だが向こうもわざわざやりとりする気はないのだろう。もう連絡を取る必要がない。年末年始も実家に帰ることはないだろう。泊まりで帰ることはもうしたくないし。自分が保てなくなりそうでこわいのだ。私は逃れたい。探していた本はクラビノーバの下に並んでいた。ほっとする。他にも本棚からいくつか取る。私はこんなに本を持っていたんだっけと少し驚く。部屋の電気を消し、靴をはいた。猫が2匹いた。誰も私を見ていない。家のドアをそっと閉めた。

夜、らららクラシックで栗コーダーカルテットが出ているのを見た。ポリリズムの解説など、関島さんの編曲の妙が具体的で混みいった複雑さがありながらそれをいかにも楽しんで作っているという人柄が見えて、良いなあと思う。しかし栗原さんも関島さんもテレビで見るとずいぶん年を取られた感じがする。最近2度もライブを遠目でながら見てるけど決して近くで見てるわけでもなかったからなんだかびっくりしたくらい。思わずデートコースの頃を思い出す。まあ、あの時参加していたみいんな、観客含めて年をとったわけだからと思うとなんて遠い昔のことなんだろうと思える。でも、べつについほんのちょっと前でもある。でも、人は年をとるし、年をとれば見た目は移り変わっていく。同じ人だし同じ人じゃない、ようだ。でも栗原さんがベートーベンの運命で首を前後にして拍を取る動きをしていたのを見て、うわデートコースのポリリズムのときのベースを弾く栗原さんの動きと一緒だ、と重なりを感じた。やっぱりそうなんだなあと、思った。