液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

日記が全然書けてない、書けない、書かない理由原因はなにかと考えてみればめんどくさいからだ。パソコンで打つのもスマホで打つのもどちらにせよ疲れるしめんどくさい。なぜめんどくさいのか?それは自分が日記というのを書き出すとながながとちびちび細かに記したくてしょうがない気質があるからだ。ごく簡単に、あったことやしたことなどを数行以内で書けばいいだけ、そうゆう日記をやったらいいのに、やればいいだけ、と思うけど、私はそれができないのだ、それは明白だ。詳細に、正確に、というのではなく、ただ、ちまちま書いている今現在のことをも反映して書かずにいられない。そのときの流れを再現したくなる。だから日記を書くのはめんどくさい。だから避けてる。でも書かなきゃと思ってる。でも書いてない。ツイッターをたよりにすれば後から穴埋めできるからまあいいか。でもそれもしなくなっていく。今日はいくつかギャラリーで行きたいところがあったが伸びたセーターをほどいて毛糸にする作業に思ったより手こずり出かけるのがあほらしくなる。午前中なにしてたなかも思い出せない。文藝の読み残し読んでたのかな。ああでももう何かに集中するのが難しい。自分の卑屈な人間性がまとわりついている、いかんすさんでいる、と思うが取れない。これはなんでなんだろうなあと思うが、やはり親とのことがあるんだろうか。出かけるのが億劫でずっとひとりでいると精神に悪いのはわかっているが、出かけて帰ってきたときにむなしいような気がしてしまう。自分にはもう帰る家もないのだと思う、自分はもうあの家とまじわることもない、自分は自分だけがあの家からはじき出されたのだと思う、自分だけがおかしいのだと思う、いつもの疑問だがなぜはやく死なないのだろうかと思う。いつまでこのようにして生きてるのか、ああくらくらする。こんな感じで10年後もいるのだろうか、もっと貧しくなって、老け込んで、もっと鈍感になって、同じようにはやく死にたいと思っているのだろうか。生きてる未来にぞっとする。自分はとことん生きてる希望がないんだなあと思う。何がしたいとかがないからだめなんだろうかなあ。でも確かにない。どっちが先か、もはやわからないような。それは常にイコール関係で等しくあらねばならない気がする。だから健康診断も受けたくない、もう何年も受けてないけど来年は受けさせられそうでそれを考えたら憂うつになる。健康になんかなりたくないのに。そうしてどうやって徹底抗戦できるかなどを考える。辛くなってきたので朝にヨドバシから届いた梅酒をソーダ割りにして飲む。あまりアルコール度がないのかどうか、なんてことはなかった。文藝の秋の号を読みきっていないことに気づき、しかもいちばん長い小説。初めて読んだ吉村萬一さん、の流卵という作品、奇妙だがわかる気がするという奇妙さ。母親の描写、その母への息子の視線や本音、がなんかつらい。で、冬号を買ってきてたので読み始める。ユリイカのビリーアイリッシュ特集も読む。洗濯物を干した。夜ご飯はえのきと豆腐と小松菜と卵のサンラータン風スープを2杯くらい。それからポテチ食べてヨーグルト食べてアイス食べておわり。いだてん最終回。エンドロールで芳垣さんの名前。予定より4.5日はやく生理が来そうな気配。昨日はJason Moranのskateboarding in tokyoを見に行った。