液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

先週からまた仕事が少しひまになってきた。なので本を読んだり寝たりした。生理が来そうだということにそわそわしている。しかし今回は予定より早いので想定外というか、心構えが思ってたのと違うことになり、それによって生理前のしんどさへの態度が異なってきている気がする。考えてみれば先月の生理が終わってからなぜか今回は胸がずっと張ったままのような、おかしいな、と思っていたらそのまままっとうな生理前期間に突入したのでイマイチリズムが掴めなかった。でもそれくらいの方がいちいち細かに気にせずにいられることに、結果的になったかのような。たまたまって感じもするけど。でも今度の土曜のライブ見に行く日に被らないのならそれはそれでラッキーなことだ。あさいさんに肩もみしてもらったらすうごい凝ってた。帰りにスーパーで鯖を買って味噌煮を作った。なんか色々微妙に間違いつつ、それらしくはなっていた。土鍋を買ったので明日からは鍋料理で日々を送りたい。作り終えたら頭痛がしてきたので薬を飲んだ。食べて、その後梅酒を飲む。ディスクユニオンの中古で何枚か買いたいものがあるが悩む。アマゾンで中古の本やら写真集やらケーブルなどを買う。細々とした買いたいものが溜まっている。

昨晩は文藝の文藝賞受賞作、宇佐見りん「かか」を読んで、読みながら、かか、というその人はまるで自分だ、大学を卒業した後の20代の私だと思って読むのを息を吸うのを止めるように途中でとどまりながらも読まなくてはいけないというゴーサインを出し続けて、けれど昔の自分の姿が、叫びが、写し出されているようで嗚咽せずにいられなかった、何度も。その頃の自分を忘れることはないけれど、思い出す必要はなく、けれど忘れてはいけないのだと思い、でも何も思い出せないかのような気持ちになり、あれはなんだったのか?という思いと何も解決されていないまま、ただうっすらと埃が溜まっているにすぎない、それが時間の経過とともにより深く重く埃が溜まっていくのを待っているかのような、気がする。見たくないのに、忘れているわけではない。見ようとするには、直視できない。泣いて泣いて泣いて叫んで、絶望に押しつぶされそうで、殺されそうで、苦しくてしょうがないんだと訴えたい自分がいる。けれどそれは誰にも届かない。どこにも届かない。あの時間のことを思い出すと、今の自分さえ崩壊してしまう。決してその感情を忘れたのではなく、消し去ったわけでもなく、自分はいまだにそれを知っているし覚えているのだとわかる。思い出せてしまうこと、寄り添えてしまうこと、過去の自分に今の私が乗り移るかのように。過去でもなく未来でもない。なんだか、考えなくては、解決しなくてはいけないことが多すぎる気がして、全てをつかむことができない。何からどうしたらいいのか。自分が子供の頃から抱えてきた親からの愛されなさ、愛されたりないこと、愛されないことの理由づけのための否定、否定否定否定、言えない本音、疑ぐり、嘘、気づかれない嘘、利用され利用する依存、過干渉と無関心。

あまり落ち込んでるのも良くないし何かスポーツの習い事でもするべきだろうか、など考える。しかしお金がないような。でも自分は体を動かして、エネルギーを放出させた方が良いのではないか。それがバランスの取り方にならないだろうか。全くやったことないようなものをやってみたい気はする。どうしたらいいんだろう。