液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

昨晩、精神的にまいってきて辛くなってもう明日は仕事行きたくない、、という思いで風呂にも入らず寝てしまった。朝起きて、やっぱりどうにも行く気はしないし今日は休んでもなんとかなるだろうという予想もできたので休むことにした。生理はそんなにしんどくなかったけどそれでもだるさが溜まったのか体の巡りが悪い気もする。なんで具合が悪くなったかと言えばACのワークブックを読んだからだ。結局ずっとこれで気分が悪い、落ち込む流れがある。でも気長にやるしかないと思う。でもあまりのめり込んではいけない。難しいのは、自分の頭の中だけで昔のいろんな光景や出来事が立ち上がり、それに伴って引きずり出される自分の感情、正常でない感情、とは言えそもそも正常かどうかの区別がつけられずただ強迫観念的に追い詰められてしまうようにして苦しくなる、と言った一方向的な流れ、課程から逸脱することができないということ。ワークブックにも繰り返し書いてあるが、子供の頃から自分にすりこまれている思考や見方を変えることは簡単でなく、直接操作することはできないと思う。だからこそ自分を他者として見つめる、俯瞰して見る、語るということが必要というかそうすることでしか脱出できないのかも。私は、結局全ては自分が悪いから、自分が悪い子供だから親は怒るのだ、つまり親の怒りは正しくて怒らせているのは私で何もかも自分がダメだから、悪いのだからという一点に収束してしまうところから逃れられない。だって他に理由づけができないから。でもそうするとそのブラックホールが全部を呑み込んでしまいいつも何も手元には残らない、残っていない。その虚しさをどうにかできないのか、できるのか、今のところ手応えは全然ない感じ。

 

午後になって出かけた。清澄白河で細倉真弓さんの展示を見た。現美の近く。古い建物の過去に人の気配があったような空間と作品の雰囲気がハマっている感じがした。映像作品の音も良かった。なぜか見ててしばらくしてからそう言えばこれは映像だったと気づいた。何を見ているつもりだったのか。表面が張り合わされるコラージュだけれど、その貼り合わされた内側からヒリヒリと焼かれていくようなものなど。良かったけれど、それをどう言えばいいのか全くわからない。

広尾に移動して、エモンフォトギャラリーで横浪修さんの展示を見た。アッセンブリーシリーズの展示で、とても良かった。元々大学生の頃に装苑を見てて良いなあと思う写真は大体共通して横浪さんの撮った写真だった、というところがあるのでとにかく第一印象というか目にうつった時の直接的に心惹かれてしまう感じ、好きだ、ということがもろに開放されてしまうところがある。それはそれで危険みを感じないこともないが、でもそんなものもそういくつもあるわけでもなく、まるで子供心のように素直に惹かれてしまうというのは一体どういうことなのかなというのを突きつけられる。自分が惹かれるもの、好きだと思うもの、それは自分が何を見たいので、夢見ているのか、と言ったものに繋がる気はする。

プリントを見るのは初めてで、サイズは三種類で展示、販売。いいなあと思っていたおそらく海外で撮ったのであろうmizugiのシリーズが見られて良かった。確か海外の出版社から写真集も出しており、色の鮮やかさではなく黒からグレー、鈍い肌色でまとまっているこの写真が海外からでていると言うのがなるほどなあと言う気がする。いくら見てても飽きない。

 

ギャラリーを出たらすっかり暗くって驚く。ブルディガラに久しぶりに行ってパンを買った。やっぱり美味しい。もっと店舗があってほしい。もう少し他にギャラリーを見に行っても良い気がしたがもういいやと言う気になって帰宅。休んで正解だった。週5日も働けないよなあとつくづく思う。