土曜だが朝から仕事。やらなきゃ終わらない、しかしもう今週はずっとひとりでつくりものやったりしてて生理もあってで体がぼろぼろくたくた。特に肩が痛く、腰もきそう。凝りすぎてかたくなっていくのがわかる。伸びをすることさえきつい。まあそれでもなんでも結局はやるしかないので朦朧としているかのような頭でそれでも体は動きの記憶だけでまるで機械のように自動性を持ってるかのように動かすことはできるのでむりはある程度は効くものだとつくづく思う。いやこんな程度ではむりでもなんでもないのか。すぐに弱音をはきたい。はいてもどうせやるしかないしどうせならはいたっていいだろう。もうやりたくないーーと思いながらいつのまにかそうゆう雑念も消えていたりするし、我ながらあほらしい嘆きだ。なんとか2人でないとやりきれないとこまでをやり、少し遅めのお昼をデニーズで食べる。私はここで帰らせてもらう。今日までの展示を見に行きたくて裏切るのだった。葛西にギャラリーなんてあるの?と驚き疑われつつ。雨風にさらされる駅から15分くらいの道のりをへて百瀬文さんの展示を見る。最終日だからか人の出入りが多いようだった。3つの映像作品、2チャンネルスクリーンの映像はあまりピンことなくて、展示タイトルにもなってるI.C.A.N.S.E.E.Y.O.Uが良かったように思う。写美で展示されてそう、というばくっとした感想を思う。苦しそう、に見えてしまう。なぜそれが私には苦しさと捉えられるのか、それが嬉しさには見えないコード。男女が手話で会話する作品は、個人的な体験が蘇るようで苦痛できりきりとした。口で喋る私でも、身体を押さえつけられれば、身体を奪われれば、声を、言葉を失うことがあった。男と女の体格や力の違いが端的に示すもの。力で女は屈服させられる。声を抹殺される。繰り返されるのが、それは意図なんだろうけどあまりにつらくて気持ちが悪い気さえした。顔を写していないのはより言葉のやり取りをクローズアップさせるためなのか、と思ったがなんだか余計に余計にしんどくて。けれど、最後に女性のひとりの語りの曖昧なたとえ話に少しほっとした。テキストをもらったが、そこに書いてあるほどのことを自分は全然受け取れていないと思う時、その差は一体なんなんだろうかと思う。ギャラリーのなかも結局寒くて帰り道も寒い。もうひとつギャラリー行こうかと思ったけど寒くて歩くのがいやになってしまった。泊まらせてと言っていた友だちからは一切連絡もないがまあどうせ18時までどっかで展示でも見てるんだろうと予想する。無印で買い物をしおえたところで友だちから連絡がきた。待ち合わせまで時間があったし頭痛もしてきた気がして初めて入る駅ナカのカフェでミルクティーを頼んだら最初から甘かった。それってなんか違くない?と思う。19時前に友だちと合流。会うのは3ヶ月ぶりくらいか。思ってた通りろくな昼ごはんは取ってないというのですぐご飯が食べれるところということでルミネで食べることに。だいたいいつもそうだけど特別わかりやすいもの以外の食事だとなんでもいいよ、としか言えなくなる人なのでそれでも無理やり選ばせる。結局タイ料理屋へ。3品頼んでいちいちあーだこーだ言うコメントを聞きながら食べる。この人といると、食事するのってこんなにいちいちめんどくさいんだっけ?というようなことを思わずにいられない。最近の近況、見てきた展示の話などについて喋る。外はまだ雨が降っていた。また歯ブラシを持ってくるのを忘れたというのでコンビニに寄る。そしたら2Lの水を一緒に買ってくれたので、たったそれだけでそんなこともできるようになったの?と株があがるってどんだけもとが低いの?と我ながら思う。なんかでもまあやっぱりそんなささやかなことが嬉しいのだった。これといって特別優しいんでもなんでもない、むしろ全然優しくなんかない、むしろ無礼だ、でもだから、なのだ。結局。だから私たちは友だちなのだ?と?思うことで理性を保っている。部屋に着くなり勝手にあれこれ本や雑誌をチェックされる。そのめざとさはなんなのか。文藝よんでるの?って聞かれて、湯船で読む用だよって答えたらうわそれすげえ良いな、読み終えたら捨てたらいいもんな、それやろう、とかって勝手に盛り上がって言ってたけど、いや、私読み終えたら捨てるとは言ってないが、まあ、好きにしてくれと思う。文藝はがっちりしてるからお風呂に持ち込んでも強いのはたしか。布団に入って典型的にゴツンと頭があたったので笑った。