今日もひとりでがっつり仕事を進めなければならないのでそれなりに気合を入れて頑張る。我ながらそうゆうこともあるのだな、できるのだなと意外に思う。それなりに切羽詰まった方が自分にはあっていると思われる。しかしアルポリサイズがデカすぎて、サブロク板ならまだしもシロク板もあってプライマーかけるのも一苦労。腰が痛い。昨日はメディアやラミの掛け外しで手首が痛かった。体の部分部分がそのように痛いと感じられるというのは若い頃には知らなかった感覚のように思う。体が感じられるすぎる気がする。ラジオでアクションを聞いてたら、長島有里枝さんがゲスト、さすが砂鉄さんだなと思っていたら長島さんの本の帯を書いているらしい。話を聞いてたら、買わなきゃなとは思っていたが、早く買わなきゃ、読まなきゃと思う。なんとかそれなりに思い描いていたとこまではギリギリ進められた。慌て気味に会社を閉めて、池袋で早めの夕飯でガパオライスとスープを食べる。ロフトでエトヴォスの新色を見に行ったらアイシャドウはすでに売り切れていた。悩みに悩んで買わず。時間もなくなり千駄木へ。bar issheeで山本精一さんを見る。ちょっとさすがに今週は仕事で体が疲れすぎてたかも、集中力が続かない。ただ自分の中でいくつかはっきり出来たことがあるような。久しぶりに完全暗転したので、あ、私の好きな方向にいくかもなーとは思った。山本さんの音響的アプローチの演奏はすごく好きだから。いくつも音を重ねていくと、演奏姿がほとんど見えないのも手伝ってか、すごく匿名性が増すように思える。山本さんがこの演奏をしているのかどうか、ということが陰気され抽象的になる。ぼんやり、山本さんがいるのはわかっているのだが。また山本さんは普段から割とバッサリと音色のついた音を切りつなげていくが、それって珍しいのかもしれないと思った。多くの人はもっと滑らかにつなげるんじゃないだろうか。山本さんの音楽ではそうゆうものはあまり重要でない気がする。かと言って始まりと終わりがあるという感じでもないけれど。必要な時間、の気がする。1時間ほどの演奏。珍しくチェック柄のシャツを着ていた。そのチェック柄というのが絶妙におじさん的だよなあと思う。体の疲れ過ぎはやはり音楽を聞くのには対応し切れないのが少し悲しい。体が呆然としている。帰宅して湯船につかる。自分は何を信じようとして生きているのか?と思う。それは何かや誰かの思想を頼りにしているだろうか?もちろん影響はあるだろう、しかし、誰かの言葉を指針にしているほどのものはない。ただ、自分を考えたうえで自分を頼りにしているのだろうと思う。誰を、何を自分は信じようとしているのか、それを守り抜くためにはどう生きようとすれば嘘をつかずにいられるのだろうか。自分の態度は自分で選び、決めるしかない。間違いか、正しいか、なんてわからない。ただ、知らない他人に自分の価値を預け、依存したりしたくはない。自分はどうゆう人間なのか、たとえそれが他者の目に愚かにうつろうとも自分の態度をちゃんと示していたい、それだけは捨てられないのが自分の頑固さだ。