2週連続で今日も土曜出勤。でも体が元気なときはやれる。先週から考えればまるで別人のように働ける。その差がすごすぎてこわくなる。まあ、もう、ほとんど勢いだ。なるべく頑張って、なるべく早く、適切に、やれることをやる。私の体は働ける、そのことに感謝しそうな勢いだ。甘美ささえ生まれる。そうしたら17時すぎになんとか作り終えられた。あまりにもはやく過ぎ去る1日。帰宅してだらっとネットしてたら21時になってしまいお風呂に入って夕飯はサラダだけですます。私はただサラダが好きなのだった。味噌汁もサラダも自分の好きな具材を好きな味付けで好きなようにできるから好きということ。

 

本当に、というか、本音で思ってることのところは一度だって喋ったことがないのだ。私にとって相手は何であるのか。それは、それを言ってしまったら、負けのような気がする、ということはいつも何度も思うのだけどいやでもなんかそれは違うような。ちがうちがう、それを言ったら、なにか終わってしまう、変わってしまう、消えてしまう、つづきがなくなってしまうような、そんなような感じがして、規定し合わないから良くて、規定し合わないから私たちはずっと他人で、遠くて、何者にもならずにいられるのだ、と、そんなことを未だに夢想するかのように責任を放棄して楽しんでいるのかもしれない。これは遊戯のひとつ。

私もまた彼の前で誠実であったことなんて、ないのかもしれない。いや、そんなことはない、はずだが。いつだって彼は憎らしく、うるさく、自分本位でイラつかされ、優しさに欠けるし簡単に適当に平気で嘘を言い、無遠慮で無神経な発言に傷つかされる。だけれど、あまりに素直そうに残念がり、なんでも思ったことを簡単に口に出しすぎで、美味しいものにはばかみたいに浮かれてにやけて、こっちの話には興味も示さないのに自分の話したいことを一方的に話して満足し、見るもの聞くもの読むものなんでももちろん知ってるでしょ?の前提で話してくる態度はさも全知全能そうで、自慢したそうに自分の仕事の話をさしこんできて、勝手に甘えて勝手にさっさと去っていく、そうゆうことが、そうゆうとこが、全部憎らしくてほんの少しだけいとおしいのだった。

会っては別れるたびに私にとって彼はいったいなんだったのか、なんなのか、またその逆は?と考える。Tくんから聞いた話によると、4回の頃は彼は私のことをよく批判していたらしくその話を聞いてライバル視してるんやろうなあと思っていたとか。なるほどなと思った。でも私に直接批判めいた発言をすることなんてなかったからぬるい。ずるい。きっと彼は私に嫌われたくなかったんだろう。私にとっては彼はやはりライバルのような存在であり、そうとは認めず、認めるもなにも自分が負けてて愚かで悔しくて、だからどうにかしてでも絶対に強がって弱みなんてみせるものかといった思いがあったはずだ。ライバルというほどのお互いではなかった。ただ意識せずにはいられなかった。男と女だった。互いに許せなくて、憎たらしくて、生意気だ。先生に認められたくて、認められないのはわかってて、なんてみじめで恥ずかしいということだけはゼミの中で共有されるものだったのだから笑ってしまう。先生が天使で悪魔だった。いつだったか、なんだったか、夜、阿倍野から先生と彼と私との3人で帰路につくということがあった。横並びに座っていたんだったかな。なんでか、ふだんならそんな俗っぽい話なんてしないのに手相の話になって、それはもしかして私が無理くりそっちに持っていったのか、得たばかりの手相の味方の情報をためさんとばかりに私は先生の手をぐいっと掴んで手相を見た。小指だったかの脇にある線で結婚線を見るんだったかどうだったか。もしかしたらお酒が入っていたのかもしれない。かなり無遠慮に先生の手を手に取り、これが先生の手かあとまじまじと触り、見た。そのときたしか、たしか彼もいたはずだがそんなのほとんどどうでもよくて私は先生の手が肉厚で自分の手よりもあきらかに大きいということを知ったことに大きな感慨を覚えた、その納得のことをよく覚えている。あんなに人の手を失礼なくらいに掴み見たことは他に例がない。先生のことが好きだったのは確かだけど恋愛対象になりたいわけではなくただ私が一方的に好きでいることに満足していた。でも、ほんとうはなんて形容していいのかわからないのだ。私が先生を好きなのは自明で、誰にも同じように自明だと思っていた。なのにそれはそうじゃなかった。それは男と女で違うのだった。そんなの、ひどいと思う。

私たちは一生互いについての互いのことを話し合うことはないのかかもしれない。それならそれで良いと思う反面、少しさみしいなとも思う。でも、もしそれを破ってしまったら、それこそ今の今に築いてきたものが消えてしまうんじゃないかという気もしたりして。真実なんてない、本当なんてなにもない、ぜんぶいつも嘘ばっかり、偽りばかり、訪れては去る、それだけ、最初から最後まで素直も誠実もない。それでも目でなにかを伝え合えただろうか。特別なんかじゃないということが特別なんだということを描ききる。

結局何かを言ってるようでなにも言ってない。なにも言えない。定義がしたいという欲求があるのに、叶えられない。だから良いのか?でもそんなの結局自分の都合の良いように置き換えてるだけだ。そうだとは思いながら自分を欺けたい。

未だに初めて知るようなこともある、だけどなんでも知っているような気もして、でもよく考えたらやっぱりよく知らないことの方が多い。彼についてはよく知らない。ただ彼という人を知っているから。この関係にはそれで十分だ。そう、納得させている自分がいる、何度も現れては消え、現れては消え、現れる。

落語とジャズの話を、そういえばしたよなあ。