平日と同じ時間に起きていつもと同じような時間に家を出て美容院へ。9時からの予約は私だけだったようでずいぶん静かで良かった。1時間であっという間に髪の毛が見違えるので、とても素晴らしい技術だなあと思う。次は外ハネでパーマをかけてもらいたい。今回はなんかぐずってくるのが遅くなってしまい自分で前髪の量を増やしたりなんだりしてしまっていたのだが、遠回しにそれはよくない的なことを言われてグッさり刺される。10時開店の銀座松屋へ行き、ファミリアで姉の出産祝い品を購入。プチメックに行きたかったが我慢して実家へ。家に入ったら誰もいなかったので猫たちに狂う。父がクリーニングから帰ってきて母は隣の姉夫婦の家に行っているという。お前は行かないんかい、と思いつつプレゼントを持って訪ねる。引っ越しの手伝いをしろと言われて来たのだった。リノベーションをして、何かと贅沢豪華な作りになっていた。レンジもトースターもバルミューダの使ってて、なんなの?って感じだった。とりあえずとにかく段ボールを開けて、ゴミを捨てて、ものをしまう。甥は生後1ヶ月になっていた。まだまだ人というには遠い。ほとんど猫みたいなものだと思う。お昼は実家で母が作ったラーメンを食べた。味が薄かったように思うが、空腹だったので何も言わずに食べる。赤ん坊をずっと見た。自分の部屋で探し物をしたが見つからなかった。オリーブオイル、セーター用の洗剤、ジャム、入浴剤をもらって帰る。カメラも持って来てたからすごくリュックが重くなって、悲しい気持ちを背負って帰るようだった。

自分はこの家になにかを提供できるわけでもないし、もはやこの家で私はどんな人と言えるのかもよくわからない。何者か、ということ自体を求められもせずただただ希薄な存在として認められる。私は離れていく。親に頼らずにいられることは、どこか楽な気持ちになる。頼れることの楽さには、なにか裏が伴うということだろうか。頼り頼られあう、助け助けられあう、つまり見捨ててはならない、尽くさねばならない、自分を犠牲にすることなどいとわずに、といった感覚は少なからずと発生しうるものだったから、この家に暮らしていたころはそれに縛られていたともいえる。早く家に帰らなければいけない、ご飯を作らねば、掃除をしなければ、そう考えることが避けられない私にはそれが窮屈でもあった。お金は貯まるし、家に明かりがついている安心感もあった、ひとりじゃないということが無条件に与えられていた。けれど息苦しかった。私は親にかまわれることでのうのうと生きてきた。かまい、かまわれることで、そうゆう共犯関係で。でも家を出て、ハワイで決定的な亀裂があって、姉が子供を産んで、それでついにいたってふつうに親ばなれ子ばなれをするときがきたのだろうと思われる。親ももう私をおおげさにかまうことはないだろう。私もまた親に安易に甘え、頼ることを選択肢から外していく。私は親の人たちとはべつの人間だ。親に評価されることを期待したり怯えたりする必要ももうない。それは要らないもの、もう要らなくなったのだ。すでに彼方であって、小さな針穴ほどにしか見えないくらい遠いできごとになっている。いつのまにか過ぎ去って、終わって、しまった。そんなことがあった、ということだけが散らばった残がいのように残っている。私はほんの数人の友だちがいるけど恋人もできず結婚もせず出産をすることもないのかもしれない。それはみじめな人、かわいそうな人なのだろうか。そう思われるならそれも仕方ないと思う。自分自身でそう感じざるをえないのも仕方ないと思う。悲しくなることもあれば、人を羨むこともあるし、それが自分なのだからそりゃあそうゆうものだとあっけらんかんとすることもある。確かなものなんてない。いつだって早く死にたい。死んでいく人たちが羨ましい。どうかはやく私にも死が訪れてほしいと、ひどいことに思っている。それが誰かに覆されるなんて期待はしていない。死を思うことは内心の自由なのだ。軽々しく死を思うことは軽率かもしれない。そう私は軽率だ、軽蔑を受けたってかまわない。そのように愚かでありたい。立派な人間になんて、人から好かれる人間になんてなりようがない。自分のいやらしさを正当さと対立させて愚かさになりさがるわけではない。ただそれだけで愚かであること、それで起立していたい。なんて、まるで夢見ているみたい。自分に素直にいるって、どうゆうことなんだろう。素直さが正義なわけでも褒められるわけでもない。私はどれだけちゃんと孤独な人になれるだろうか。自分が孤独であることをどれだけ受け入れられるのだろうか。これを電車の中で書いていた。

家に帰ってテレビをつけたらEテレがついて、こども手話ニュースみたいなのがやっていてオーストラリアの火事の報道をしていた。ヤケドをおっているコアラを女性がシャツを脱いで助けて、ペットボトルの水をかけている映像だ。これはネットですでにみたことがあるにも関わらず私はあっという間に涙を目にため、ぼろんと流さずにいられなかった。年を取ってこうゆうことがやけに増えた。それは報道や映像のつらさ、しんどさに自分の内面が引きずられているのだ。映像というエサに喰いついた私は泣くことを誘引される。それは自ら泣くことはできないからだ。自分の泣きたいことそのものでは泣くことができない、なぜか?泣いてなんていられないから。泣いてる時間も考える時間も、昔のようには許されていないと感じられる。悲しいだなんて思っていられないのだった。悲しいと思ってしまえば苦しいから、お風呂に入るのも嫌になってご飯だってもちろん作れなくて洗濯物だってたためない。でも明日は会社だし疲れが取れてないから湯船につかるべきだし野菜がもったいないからご飯はちゃんと作るべきだ。悲しくて悲しくてこんなのいやだいやだなんて、やっていられない。悲しく苦しくても、暗く落ち込んだ気分になっても、むなしく、さみしく、自分はなにも手に入れられないと思えても、どうにかして理性を立ち上げてそれを受け入れようとする自分にならないといけない。それはあまりにも無理やりだ。本当はずっと嘆いていたいし愚痴っていたいしひがんでいたい。でもこの悲しさは結局どうしようもないのだと行き着いてしまう、それ以外が全くわからないのだと気づくと、自分はとても頭が悪いのだった。私が相手をいくら好きだと思ったところで相手は私を好きにならない。また私も相手の美の基準を崩せないし、太刀打ちできないことを理解しているつもりだ。だからそれに邪魔をするなんてできるわけがない。わかっていると思う。だから、それなら、それなのに、じゃあ、私はどうしたらいいんだろう。時が流れていくのを、流れたいつかのその時点を受け止める心構えをずっとずっと準備して待っているんだろうか。

夜ご飯に茅乃舎の野菜だしで雑炊を作って食べる。セロリ、長ネギ、ミョウガ、えのき、冷凍の豚肉をいれる。最近はこればっかり。大宮のマルイでフィルム2本を現像にだしCDに入れてもらったので見ている。写真。