会社でぼろ泣きした。自分でも急に、こらえきれなくなって崩れ落ちるようにして泣き始めたので、あらららららというか、あれれれれれれれって感じで、でももうこれは止められないんだ…と思って無理に止めるようなことはしなかった。というかそんなんが働くほどの余裕、一瞬の隙間さえなかった。それは冷静になって考えてみると、自分の体が自分の思う通りに動かない、やるべきと思い描いていてるところまで達成できない、ここにいるのにちゃんと役に立たない、こんな自分の体では役に立たない、といったことが受け入れられず、なりたたなくなったからだ。自分はずっとしんどい、つらい、といったことばかり言っていて、それは言わないでいるより言ってしまった方がいいのだ、と思っているんだけど、でもそしたらそれはそれで、つらい、しんどいばかり言っているダメな自分、ろくでもないヤツ、という意識にハマったように思われる。よくよく考えてみると、今週ずっと不安だったんだなあと思う。納期までに仕上げなきゃいけないという緊張感、自分の体がはたしてそれに見合うほどに動けるかどうかという不安、毎日湯船につかっても(普段はもったいないので連続して入ることはない)疲れが全然取れないというか、むしろ狭い風呂では体も伸ばせずその時の体勢のせいか湯船につかってるのもつらい、腰がへんだ、でもまた明日は仕事、ちゃんとできるだろうか、体は大丈夫だろうか、しんどいけどやらなきゃいけない、といったような不安と心配がうずまいていた。もちろんなるべく嫌な気持ちにならないようにご飯は野菜と肉とをバランスよく作って積極的に食べ、早めにお風呂も入って早めに寝るようにしていた。でもそれでもという不安があったのが、午前中にハイエース片付けて荷物積んで午後からは車の貼りに行くからそれまでなるべく進められるだけ進めなきゃいけない、なのに荷物の積み作業だけですでに腰が痛い、巻き込みの作業をするのにも腰に力が入らないから腕の力だけでやらなきゃいけない、でもそれだと普段よりすごくペースが遅くなる、いつもならもっとはやくできるのにできない、腰が痛くて片手をどっかにおかないともう自分の体を支えるのもふらつく、腰が痛いことがすごくつらいことばかりのしかかり、でもそんなこと言ったってやらなきゃいけない、でも腰が痛いのはどうしようもできない、そこにあさいさんに巻き込みはいいから合わせを見るのだけやってくれたらいいからと言われて、そんなことを言わせてしまったという思いと、腰が痛くて痛くてつらいんだということが同時に高ぶって大波になってそれでもうこらえきれなくなってしまったんだなあと思う。あさいさんは慌てて、なんで泣くの?!怒ったわけじゃないよ?!と言っていたけど、いや怒ってるんじゃないのはもちろんわかってるんだよ。

いやあ久々にあんだけ泣いた、仕事のことで、前の会社の時もよく泣いた、、つらくてつらくて、そうゆうことがよくあってそれに鍛えられた気もするが。当然涙がぼたぼたとこぼれ落ちてきて、ああやっぱすごい出るなあと冷静に感心している自分もいるというのは子供の頃から変わらない。卒研で涙をテーマにすえただけあるよなとなぜだか納得してしまう。分類としては泣くという行為だと思うんだけど、でもこれは泣くではないという感じもしている。泣く、という行為をしているという時ももちろんある。でも、自分にはまだこんなふうに泣ける能力があったんだと思うと、少しほっとした。しかしどん引きするくらいに泣いたなあ。そのようなときは、やっぱり、子供のときの自分がたぶるというか、自分の子供の頃の感覚を取り戻すような、子供の頃の自分と今の自分が同一になり、統一を感じる。子供時代に泣いている私は現在に泣いている私と同じ型なのだということを感じる経験。

泣きやんだところでお昼をデニーズに食べにいき、午後から車の貼りをかなり久しぶりにやりに行き、それからアルポリ貼りを会社でやって、なんとか腰も耐えられた。あさいさんに指摘されたのだが、私はひとりでやるときはわりと時間と数量に対してシビアな目標設定をしてそれをクリアすることに燃えてしまったりするのだがそれによって体に無理をさせているんじゃないかという。まあ確かにいわれてみればそうかもしれないと思うところもある。それがきらいじゃないからそうやってるとはいえ、でもそうしないと終わらんじゃないかとも思うわけで。この仕事はきついんだからと言われて、ああそういえばそうだったけ、そうだそうだだからほとんど男性がやってる仕事じゃないか、、と忘れていたことに思い当たる。重いものやでかいものを扱い、運ぶには体の近いとして圧倒的に男性が有利であることが多いのだということはこの仕事をしていれば感じる。もちろんみんながみんなじゃない。女でもできるのだ、と思って私もこの仕事を始めたのだし。でも実際には私の体では追いつけない面が多い。私は一人で十尺の脚立を持てない。男性でも体を壊す人もいるだろうし女性でもやっていける人はいる。けれど違う体で同じことはできない。誰しもが違う。でも時々、いつの間に自分の体はサブロクやシハチの板を長さを把握して振り回すことができるようになったのか、20キロのウエイトをどう体を使って持ち運ぶと良いのだと覚えたのか、くっそ重いメディアをどう扱えばセットできるよう理解したのか、体の使い方は考えているようで考えていないようでもある。体は鍛えられてはいると思うけど、無理がそれを上回っているかもしれない。