昼前に出かけて写美へ行くことにする。でも地下鉄乗ってたら腰の悪さのせいなのか、なんか気持ち悪いような気がしてくる。おなかがすき始めてるせいなのかもと思う。途中から座れたけど体がぐらついてる気がするので恵比寿に着いてすぐさまスープストックへ向かった。あったかいものを取り入れるべきなんだ、と思いこむことにした。店内は見事に女性のおひとりさまばかりでなんかこれはこれで不思議な気もするけど、女性だけというのはどこか安心感もある。ふだん仕事で行く現場もしくは会う人はほとんどが男性、男性ばかりということが多いから、もうすっかり慣れたとはいえそれはいろんな意味合いの緊張感がありもする。そうゆうのとは真逆の世界だよなあと思う。でもそのうち男性も入ってきてて、まあその方がバランスはとれてるよなあとも思う。極端な偏りは奇妙な感じがしてしまうのだ。でも男子校女子校に行ってたという人の話を聞くと、そこはまた別世界なのかなと思っている。女性ばかり、多い仕事は苦手だと思って選んできた延長に今の仕事もあるのだけど、その思い方も若いころの偏りがあるものだったかもしれないと今なら思う。それは女性がいやだということなのか、それは女の自分がいやだということだったかもしれない、可能性など。

食べたら気持ち悪さは消えた気がする。写美の恵比寿映像祭を見る。こないだ2Fと日仏会館は見てたから3Fと地下1Fだけ、とはいえ映像作品ががっつりあるので全部を全部見ることはできず。んー、なんか、マルチスクリーンの作品って見るのに飽きてきちゃったところがあるかも。マルチスクリーンのインスタレーション、になるのかな。自分のたったふたつの眼が、いくつものスクリーンを追いかける。見つめる。受け入れる。3Fの部屋のつくりかたが良かった気がする。2Fもベンリヴァースの部屋が真ん中にあったのも新鮮で、会場構成が毎年おもしろいとは思うけど、同時に大きなスクリーン、部屋同士で音がもれあってるのは少し残念。まあ最大限やっているのだろうとは思うけれど。スタン・ダグラスの劇中音楽がミニマルループな感じで妙に良かった、好みだと思った。グラダ・キロンバの劇中音楽も良かったし、映像の中の物語の構成につけられた音楽が大きな要素として浮き出ているのは、それはそれでなぜこのような音楽がついているのだろうかと不思議に思う。でもこのふたりの作家は2スクリーンでもその形に新鮮さが感じられて、でも突飛でもないのでどこか入り込みやすい世界がある気がした。私はいったい何にどう驚きを感じ得るのか?ということをなんとなく考える。

そのあと池袋へ移動してKさんと会う。サンマルクカフェでちょっと話をして、ビルのワーキングスペースのひと部屋で音読の録音。自分でもどうできるのかはちょっとよくわからないまま、やってみないとわからないしやってみてそれで判断してもらえばいいのかなとは思っていた。いざとなると読むのはむずかしいし、自分がなに言ってるんだかよくわからなかったりもする。後半になるにつれ舌がもつれていってしまった気がする。読むことって簡単なことじゃなかった、とわかる。ひたすらこんなに日記の話をしているのはなんかおかしい。奇妙さとしておかしいし、笑ってしまうおかしさでもある。その後カレー屋で夕飯を取る。外から見ると、え?あれ?どうゆう店内なんだ?と思ったけど、きゅうきゅうなカウンター席のみで、キッチンの方がゆったり広そうで、店内は妙に暖かくスパイシーさがもわっとみちていた。今日は気温がありえなくらい高いのに、それでも店内はもっとあったかい、というのがちぐはぐした。Kさんがナッツとレーズンだか何かが入ったナンを頼んでて、食事中に甘いものをとる、はさむことにハマっているという話がおもしろかった。私も回転寿司で早々に甘いものを取ったりもするし、食べる順番はなぜか決まっていてそれを守るべき意識が自然とついてたりするけど、好きに食べる自由が行使されるのはなんか気持ち良い気がするのかも。最初にお会いしたときから話しやすい人なんだなあとは思っていたし、人の話を聞くことが多いみたいなことは前に聞いたような、そのときそれはわかるかも、みんな話をしたくなる、聞いてもらいたくなるんだろうなあと想像した。そうゆう人のそうゆうオーラ?放つ雰囲気?ってそうじゃない人と何が違うのか。いろいろ話をしたけど、別れたあとになって、あ、そうか、私は今日話したようなことをずっと誰かに聞いてもらいたい、相談したいと思ってたんだけど、どこか勇気がなくてずっと躊躇していたんだなと気づいた。できればその相手は男性がまず必要なのではないかと思いながら(自分と違うという人が必要と思っていた)、同時に、自分の言うことが相手にどうとらえられるかわからない不安も心配もあった。もちろん信用している人に話すし、相手が私を軽蔑することはおそらくはないだろうと思いながらもそれでもそれでも。あの人にメールして聞いてもらおうか、いやこんなことくらいで、でもやっぱり、というのがずっとあって、自分が普段、最近考えていることは何かおかしいんじゃないか、私の考え方はダメなのかどうか、そうゆうことを誰かとすり合わせるというか答え合わせみたいなのをしたいという気持ちだったと思う。でもその答え合わせはこわい。受け入れてもらえるのか、耳を塞がれてしまわないだろうか、自分はちゃんと自分の感覚や考えをいつわりなく相手に広げ見せることができるのか、ということでもある。自分の恥やおろかさでさえも、それをそれとして、かっこつけずに相手にちゃんと見せることができるのか、という自分自身の態度のもんだいだったとも思う。どうしても、話をしようとすること、喉のつかえをはずすのかはずさないのかへのためらいは誰に対しても最初はあって、でも今日はKさんの方からの話があったりしてそれで私はわりとためらいなく話せたのかも。どんな話を、どんな人と、どんな風にするのか、そういったことは常に使い分けられていると思うんだけど、でもたぶん知りあってまだあたらしい人だから話せたというのもあるかもしれない。時間のなかで部分的にかいつまんだ話しかしていないとも思うけど、そんな断片ができたことはおもしろかった。カレーはおいしかった。帰宅してシャワー浴びてsくんに元気にしてるか気になったのでメールしたら就職なんとかなりそうな方向らしく、ちゃんと決まったらまた連絡するとのこと。ほっとして、はやくに寝る。